日めくりプロ野球 5月

【5月11日】1950年(昭25) 出場1試合1打数1安打1本塁打 打率10割で引退した塩瀬盛道

[ 2010年5月1日 06:00 ]

 【大映20―7東急】プロ初打席、しかも初球を叩いて本塁打を放った新人選手がいた。そんなスラッガーは実は投手だったが、この1試合この1打席だけで二度とバットを握ることもなく、ましてマウンドにも二度と登ることもなく、1年限りでユニフォームを脱いだ。
 塩瀬盛道。国学院大に籍を置きながら、2リーグ分裂で球団が増え、選手が足りなくなっていたプロ野球に誘われて、契約金60万円で東急(現日本ハム)に入団。そんな24歳の投手は、後楽園での対大映(現ロッテ)9回戦、5回2死から4番手として登板した。
 9番の姫野好治投手を三振に仕留め、まずひと仕事を終えた。プロ初登板としては上々のスタートだったが、試合はすでに5回を終了して0―18。一方的な展開で大映が東急をリードしていた。塩瀬のデビュー戦は敗戦処理だった。
 6回2死一塁。塩瀬に打順が回ってきた。試合はもう決まっている。ただでさえ、選手が少ない当時のチーム。代打を送ることはなく、そのまま打席に入ると、外角高めのストレートを強振すると打球は右翼へフラフラっと舞い上がった。ポール際に飛んだ打球を飯島滋弥右翼手がフェンス際でグラブを構えたが、打球は追い風に乗ってスタンド最前列に飛び込んだ。
 完封ペースの姫野から2点を奪う2ラン。何だかワケが分からないうちにダイヤモンドを一周した。ホームラン賞の商品は賞金と「伊勢崎銘仙(絹織物)、カルピス、栄養剤のエーデー、高島屋の商品券、カサブランカというクラブの商品券でした」(文春文庫、スポーツグラフィック「ナンバー」編 プロ野球ヒーロー伝説)と塩瀬は後に回想している。
 投げては三振、打っては本塁打と、これ以上ないスタートを切ったはずだったが、一寸先は闇だった。6回、再びマウンドに登った塩瀬は1番山田潔遊撃手を四球で歩かせると、2番滝田政治中堅手の2球目にボーク。以後、押し出しと適時打で2点を失い、ついにチームは20失点に達した。7回も続投したが制球が定まらず、2四球と安打で満塁に。たまりかねた安藤忍監督が、常見茂投手との交代を告げた。
 投手の台所事情は苦しかったが、ストライクが入らなければ使えない。安藤監督は二度と塩瀬の名前を試合でコールすることはなかった。投手としては1試合登板で1回3分の1、48球を投げ、2安打1三振5四球で自責点2の成績しか残せなかったが、打者としては1打数1安打1本塁打で打点2、打率10割で長打率にいたっては実に40割という記録を残した。出場1試合でこれだけの打撃成績を残したまま引退した選手は後にも先にも塩瀬だけだ。
 塩瀬に本塁打を打たれた姫野は7年の1軍生活で通算169試合に登板、50勝50敗の成績を残し引退したが、被本塁打は57本と決して多い方ではない。塩瀬の一発は振ったところにボールが来た“まぐれ”的要素の強いホームランだったが、52年にはオールスターにまで出場した右腕にとっては、プロ入り初完封の夢を打ち砕かれた忘れられない一撃になったに違いない。
 塩瀬はその後、熊谷組で都市対抗に出場、母校国学院大の監督も務めた。日本たばこの関連会社の社長に就任するなど、第2の人生は立派な“勝利投手”になった。

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