日めくりプロ野球 5月

【5月4日】1971年(昭46) 1打席で“返品”大洋・リナレス、5月で任意引退

[ 2010年5月1日 06:00 ]

わずか1打席でお払い箱になったリナレス(右)
Photo By スポニチ

 公式戦わずか1打席、ライトへのファウルフライでクビになった外国人選手がいる。大洋がサンフランシスコ・ジャイアンツのマイナーから獲得した、ユリオ・リナレス内野手だ。
 この日、球団はリナレスの任意引退を発表。米国へ帰国することになった。「監督はファームで練習しろというが、僕は日本の2軍で野球をするために来たのではない。試合に出してくれないなら、アメリカに帰るしかない」とリナレス。さっさと荷物をまとめて日本から去ってしまった。

 「俊足巧打、30歳の働き盛りの内野手」という触れ込みで、大洋に話が持ち込まれたのが前年末。当初大洋は、ジ軍から日本人投手との交換トレードを提案された。球界にかつてない日米間移籍に、大洋側は乗り気だったが、ジ軍が調査の上で要求してきた選手は、球界を揺るがした「黒い霧事件」に関与した可能性が指摘された投手だった。
 大洋側が難色を示し、話が破談になるところをジ軍側は「金銭トレードに応じる」と回答。新外国人を探していた大洋はこれを二つ返事で同意。さらにこのトレードには付帯事項が付いていた。くだけた言い方をすれば「もし使えない選手なら、解雇してもよい」というもの。つまり“返品可”の選手だった。
 来日前年の3Aでの成績は128試合で2割7分8厘、3本塁打69打点。派手さはないが「カーブ打ちのうまい、日本向きの選手」という代理人の評価も、30歳の黒人選手に別当薫監督が下した判断は「バッティングはそこそこだが、守備は内野としては使えない。肩も弱いし、グラブさばきが雑」と厳しいものだった。
 オープン戦では4試合で8の2、1本塁打4打点とアピールしたように見えたが、監督の評価は大きく変わらなかった。開幕2軍スタートとなったリナレスは「なぜオレを使わない。オープン戦でもっと使ってもらったら、結果を出すことができた」と主張。ファームで調整を命じられても、機嫌が悪いとサボった。
 4月21日、川崎での広島5回戦で代打出場し、右邪飛に仕留められた。この後寝2軍行きを命じられると、ほとんど練習には参加せず、宿舎のホテルに引きこもってしまった。「オレはオープン戦でもホームランを打っている。公式戦の代打の1打席で何が分かるんだ」とリナレスは荒れた。
 確かにあらゆる面で粗い選手ではあったが、1打席で見限るほどひどくはなかった。リナレスと球団、別当監督との間に何か問題があったのか。今となってははっきりしたことは分からない。ただ言えることは、当時日本円にして約500万円払ったとされる、トレードマネーは返ってこなかったということ。「来てみなければ外国人選手は分からない」、というのは選手の情報がふんだんにあり、調査方法が発達した現在と40年前の昔でもあまり変わらないということである。

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