日めくりプロ野球 5月

【5月27日】1979年(昭54) お見事“ハエ男”スコット、Wヘッダーで“サイクル本塁打”

[ 2009年5月1日 06:00 ]

俊足でパンチ力もあったスコット。3年間で48本塁打、盗塁も42個記録した。80年にオールスターにも出場している
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 【ヤクルト9-4、8-4阪神】「打てるボールが10球に1球もこないんだから、打てるはずがない」。つい5日前までボヤいていた“ハエ男”?がプロ野球史上初の記録を甲子園球場でやり遂げた。
 ヤクルトの新外国人選手、ジョン・スコット中堅手は阪神とのダブルヘッダーで計4本塁打。しかもソロか満塁まですべて放つ“サイクル本塁打”をかっ飛ばした。

 まずは第1試合初回、阪神・小林繁投手の内角ストレートをコンパクトに振り抜き、左翼への先制2点本塁打。この時点で23日の広島戦から4試合連続アーチとなった。「後ろ足の右足に十分体重が乗っていない。腕だけでバットをコントロールしていては距離は出ない」という佐藤孝夫打撃コーチの言葉に耳を傾けた結果だった。「変化球がよく見えるようになったら、直球の対応も慌てなくなった」というスコット。十分引きつけて打った見事な本塁打だった。
 2本目は9回、試合を決定付けた8号満塁弾。4-4の同点で送り込まれた江本孟紀投手のスライダーが真ん中に入ったところを逃さず、これも左翼へ運んだ。初回の2ラン、最終回のグランドスラムに加え、6回には左中間二塁打で2打点。ヤクルトが挙げた9点中8点をたたき出した。
 「スコットはどないしたんや?」。阪神の中西太打撃コーチが何度も首をひねった。実は阪神、78年に3Aで活躍していたスコットを新助っ人としてリストアップ。最終リストまで残っていた。3Aで50盗塁の俊足は二重丸の評価だったが、田淵幸一捕手を西武に放出した阪神は、右の長距離砲が補強ポイント。「パワーが足りない」という中西コーチの判断で入団が見送られ、メジャー9年間で77本塁打のリロイ・スタントン外野手を獲得した。それだけにスコットの2発で沈められたことに中西コーチは納得がいかなかった。
 スコットの大暴れはなおも続く。第2試合、1点ビハインドで迎えた8回に好投の先発山本和行投手から同点の9号ソロ。プロ野球23人目の5試合連続本塁打となったが、ホームランショーの大トリは9回。安仁屋宗八投手からまた左へとどめの10号3点弾。2試合4本塁打12打点もすごいが、1日で“サイクル本塁打”は前人未到の記録。「僕はホームランバッターじゃないから、僕自身が驚いている」とスコット。開幕から低迷していた前年日本一のヤクルトはこれで勝率5割に。優勝の立役者、チャーリー・マニエル外野手の首を切ってまで獲得した、V2の使者に「ようやくスコットが打って希望が出てきた」と広岡達朗監督は表情を崩した。
 バッティングもさることながら、スコットの真骨頂はその守備にあった。大リーグ、パドレス時代に「フライマン」(ハエ男、本人は飛ぶように走る男と強調していたが…)のニックネームを付けられるほど守備範囲は広く、日本でも79、80年とダイヤモンドグラブ(現ゴールデングラブ)賞を受賞。俊足を生かして飛球を追い何度もチームのピンチを救った。
 しかし、その広い守備範囲が災いして選手生活を縮めてしまった。“サイクル本塁打”からほぼ2年後の81年5月26日、同じ甲子園での阪神8回戦の6回、掛布雅之三塁手の右中間への大飛球をセンターのスコットがラッキーゾーンの金網フェンスに頭から激突しながら好捕。その代償は左ひざ側副じん帯を損傷というものだった。復帰後も状態は芳しくなく、シーズンオフに手術に踏み切ったが、ヤクルトは「あの快足はもう見られないだろう」と、年末に自由契約を言い渡した。
 「子供の頃にいじめっ子がいて、そいつから逃げるために足が速くなったのさ」というスコット。獲得を熱望した広岡監督は解任され、優勝の使者とはなれなかったが、ディスコと模型作りが好きなチームメイトに愛された助っ人だった。

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