日めくりプロ野球 5月

【5月25日】1983年(昭58) 史上初!補殺ゼロ プロ最後の白星で記録を残した高橋三千丈

[ 2009年5月1日 06:00 ]

補殺ゼロのプロ野球初の記録を打ちたて初完封勝利で復帰戦を飾った高橋。明大では先輩の星野以上に強気な投球でならした
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 【中日6-0阪神】阪神・岡田彰布二塁手のライナー性の当たりが右翼へ飛んでいくと、守備固めに入っていた栗岡英智右翼手が難なくキャッチ。2時間55分の試合は、中日・高橋三千丈投手の3安打無失点、プロ初完投、初完封勝利で終わった。
 右腕の血行障害からのカムバック。ルーキーイヤーの79年10月10日の同じ阪神戦以来、4年ぶりの白星だった。ヒーローインタビューでの第一声は「嬉しいくて…。とにかく勝ちたかった」。それだけ言うと涙で声にならなかった。

 苦労人の初完封にはとんでもないおまけまでついた。阪神の27アウトのうち、内野飛球(邪飛を含む)が11、外野飛球が12、残りの4つは三振。ゴロのアウトが皆無の補殺0という極めて珍しい記録が誕生した。プロ野球史上初めての記録で、109年の歴史(当時)がある大リーグでも日米が戦争をしていた1945年(昭20)7月4日、インディアンス-ヤンキースでインディアンスが記録した1試合しかないほど。これまでセパで計17度、補殺1の試合があったが、ついにこれ以上ない究極の記録が球史に刻まれた。
 阪神ベンチもゴロがないことを気にしていた。回が進むたびに焦りの色は隠せず、ベンチでは横溝桂打撃コーチが「上からたたけ、たたくんだ!」と大声を張り上げていたが、それもむなしかった。血行障害の手術後、高橋のストレートの球速は130キロ台前半に落ちた。真っ直ぐが速いと打者は謙虚になれるものだが、“打ちごろ”のボールは強振してしまうのが打者の性。強引に行けば行くほど高橋のペースに陥ってしまった。
 明治大・島岡吉郎監督が「明大野球部史上、主将を務めた中で高田繁(巨人、08年からヤクルト監督)と並ぶほどの人物」と絶賛した高橋は78年、東京六大学通算18勝の実績を引っさげ、ドラフト1位で中日に入団。社会人三協精機に決まっていたところを、中日側が割り込み獲得したものだった。明大から社会人を経由せずプロ入りしたのは、中日・星野仙一投手以来、10年ぶりのことだった。
 1年目は43試合に登板し5勝4敗2セーブ。ライバル視していた同じ明大出身の同級生、巨人・鹿取義隆投手の3勝(2敗2セーブ)より勝ち星で上回った。これからという2年目。突然右腕が上がらなくなり、指先は冷たくなったままで、ボールを握るとそれきり動かず投げることが出来なくなった。医師の診断は「右脇下血行障害」。手術すれば一般的な生活に支障はなくなるものの、投手として復帰することは絶望的と宣告された。それでも太ももの静脈を15センチも切って、右腕に移植するという困難な道を選んだ。
 スカウト転出の話を断り、苦難を乗り越えての通算6勝目。執刀医は「奇跡が起きた」と驚嘆したが、奇跡は何度も起きるものではなかった。高橋は最初にして最後の完封勝利でスポットライト浴びた後、計6試合に登板したのみで84年に引退。長く中日の2軍投手コーチを務めた。09年は韓国のLGツインズの投手コーチとして海の向こうで活躍している。
 

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