日めくりプロ野球 5月

【5月17日】1997年(平9) “国際派”よっさん、外国人審判に宣告された24年目の初退場

[ 2009年5月1日 06:00 ]

ディミュロ球審(右)に抗議し続ける吉田監督(左)。開幕戦では外角のストライクゾーンをめぐり、阪神の各選手からクレームがついたが、吉田監督は「条件は両チームとも同じ」と話していた
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 【ヤクルト3-0阪神】少し間があってアウトの判定が下されたその瞬間、指揮官は脱兎のごとく一塁側ベンチを飛び出した。「Why?Come on here!(なぜだ?こっちへこい!)」。英語を使う冷静さはあったが、顔面が紅潮するほど興奮していた。
 「Judgement slow!」。阪神・吉田義男監督は“判定が遅い!”と抗議するため、“ムッシュ”流の英語?を使って米国3Aからの派遣審判、マイク・ディミュロ球審の前に立った。

 2回2死一、二塁、阪神の攻撃。9番の中込伸投手の投ゴロをヤクルト・ブロス投手がタッチにいったものの、ディミュロ球審は即座に判定せず、空タッチだと思ったブロスが一塁へ送球すると、これが中込の背中に当たった。セーフと誰もが思った瞬間、ディミュロ球審はおもむろに右手を上げ、アウトのジャッジ。ブロスのタッチでアウトになったという判定だが、それならばなぜその時点で即座にアウトを宣告しなかったのか?。吉田監督がベンチを飛び出したのも無理はなかった。
 フランスナショナルチームの監督も経験した“国際派”の吉田だが、英語が得意、という話は聞いていない。片言の英語で抗議する吉田監督のもとへタイガースの通訳が遅ればせながら駆けつけた。ところが、吉田監督は「ええから」と追い返してしまい、さらにディミュロ球審に詰め寄り、勢いあまって指で腹部を突っついた。ディミュロ球審は大声で宣告した。「Get out of here!(退場!)」。
 「ふざけるなこの野郎!」騒然としていた3万1000人の観衆はさらにヒートアップした。「何や!どうしてそうなるんや!」。指を差して執拗に訴え続けた吉田監督の言葉もいつしか関西弁になっていた。現役時代を含め、阪神一筋に24年。初めての退場宣告だった。
 ディミュロ球審の言い分はこうだ。「抗議を受け付けようとしたのに通訳を追い返し、ヨシダは意思の疎通を図ろうしなかった。自分の意見を言うだけでなく、私の判断も通訳を交えてきちんと聞いてもらいたかった。それになぜ体に触れる必要があるのか。ルールブックどおり退場だ」。吉田監督の怒りをさらに爆発させたのが、観客にマイクを使って説明した責任審判の井野修一塁塁審の言葉だった。「暴言がありましたので吉田監督を退場処分とします」。
 暴言?吉田監督が退場に値するほどの汚い言葉を口にしたのだろうか?「2人の間でどんな会話があったのか、分からない。一方的に抗議を続けたのが退場の理由だった。しかし、あの行為での退場はこれまで例がないので、何と言っていいか分からず、暴言という言葉に集約した」と井野塁審。退場宣告の是非はともかく、毅然とルールーブックに従っての退場と根拠を示したディミュロ球審に対し、日本の審判団の曖昧さは後味悪さを残した。
 試合後も怒りは収まらなかった吉田監督は「水風呂に入って、シャワーで水を浴びて、頭を冷やしても分からん。どこが暴言や、私のブロークンな英語が暴言いうんですか?そりゃ、ちょっと腹を突っついたかもしれまへんけど…。退場は行き過ぎやと思います」。阪神はディミュロ審判が球審をした試合は開幕戦を含め0勝3敗。顔を見るのも嫌だった。
 父親も兄も大リーグのアンバイア。父が交通事故で亡くなった14歳から草野球の審判を務め、家計を助けたというディミュロ審判は、29歳にしてじきにメジャーでジャッジできるところまで実績を重ねてきた。日本での1年間の交流もキャリアアップのためと考えていた。日本とは比べものにならない審判の威厳をもって試合に臨んだが、抗議が当たり前の日本プロ野球の“文化”にはなじめなかった。
 6月5日、中日-横浜戦で中日・大豊泰昭一塁手へのストライクのコールに中日側から詰め寄られ「身の危険を感じた」と辞意を表明。その5日後には帰国してしまった。以後10年以上の歳月が過ぎ、WBCという国際的な野球大会も開かれながら、日米球界の審判交流は再開していない。

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