日めくりプロ野球 5月

【5月15日】1982年(昭57) 元用具係・松永浩美、日本人初の特別な2発

[ 2009年5月1日 06:00 ]

通算1904安打203本塁打。打撃成績2位が2回、3位が1回と毎年首位打者候補も打撃3部門のタイトルは1つも獲れなかった
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 【日本ハム7-3阪急】カウント2-3。日本ハム・工藤幹夫投手の外角高めストレートを思い切りたたいた。左打席から放たれたやや低い弾道の打球は、西宮球場のラッキーゾーンへ吸い寄せられるように飛んでいった。阪急・松永浩美三塁手のシーズン3号のソロ本塁打。この時点ではまだ1点差に迫る追撃弾の域を出なかった。
 8回、今度はリリーフエース江夏豊投手に代わっていた。右打席に入った松永には強い思いがあった。「今度こそはバットを振る」。過去2度の対戦は見逃し三振。打ち取られたとしても必ずフルスイングすると誓っての打席だった。

 そのひと振りが日本人初の記録となった。江夏の決め球フォークボールをうまく拾い、打球はセンターへ。島田誠中堅手がフェンスにピッタリ背中をつけたが、打球はその頭上を越えていった。
 2打席連続の4号ソロアーチ。一塁からライト側のブレーブスファンは大喜び。応援団も旗を大きく振って松永を出迎えた。そのころ記者席もちょっとした騒ぎになっていた。「これって、初めてじゃないの」。公式記録員から正式に発表されると、試合に勝った日本ハムより多い数の記者が松永を取り囲んだ。
 スイッチヒッターの松永が放った2本塁打こそ、日本人選手初の1試合両打席本塁打だった。75年5月17日、広島のシェーン外野手が大洋7回戦(沖縄奥武)で打って以来、スイッチヒッターの1試合両打席本塁打は5度あったが、すべて外国人選手が記録したもので、日本人は皆無だった。
 「えっ、知りませんでした。本当ですか」と驚くばかりの松永。打たれた江夏はこの日、34歳の誕生日。メモリアルデーに浴びた1発は「ストライクからボールになるフォーク。あれを持っていくんだから、並みの打者じゃない。これからは要注意や」と、日本一のストッパーの脳裏に3年目の21歳の若武者の姿が焼き付けられた。同年10月8日の南海戦ではスイッチヒッター初のサイクル安打も達成。上田利治監督が掲げた若返り策で台頭した“腕相撲無敗男”は、スター街道を歩み始めた。
 小学校時代はサッカー部に所属していた松永。エースストライカーとして一目置かれた。中学校にサッカー部がなかったことから野球を始めたが、福岡・小倉工高を中退し、練習生として阪急の球団職員に。与えられた仕事は用具係だった。
 2年後にようやく選手契約を結んだが、年俸は最低給の180万円からスタート。元は右打者だったが、内角はうまくさばけるのに、外角になるとさっぱりという欠点の多い打者だった。「いっそ左で打ってみるか?」と住友平2軍コーチの言葉に従い、左の練習を始めたが当初は「右打者失格だと思い落ち込んだ」(松永)。しかし、この試みこそが用具係からトッププレーヤーとして活躍できる最大の武器となった。
 いつでも本音で生きた、発言で物議をかもし出すことも多かった選手だが、1試合両打席本塁打は計6試合を数え、07年6月19日に当時日本ハムのセギノール内野手が7試合を記録するまでプロ野球記録保持者だった。

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