日めくりプロ野球 5月

【5月12日】1999年(平11) 13年かかった 昭和のドラ1高木晃次、恩人にキツいお返し

[ 2009年5月1日 06:00 ]

99年4月21日、神宮での中日戦で8年ぶりの白星を挙げたヤクルト・高木。08年まで通算29勝だが息の長い投手だ
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 【ヤクルト7-0阪神】あんなに遠かった1勝に8年ぶりに手が届くと、苦労したのがウソのように勝ち星を積み重ね、この日で3勝目。しかも格別の3勝目だった。阪神相手に113球で5安打完封。完投すら経験したことのなかった13年目の左腕、ヤクルト・高木晃次投手がプロ初のシャトアウト勝ちを収めた。
 「自分を信じて投げるだけでした。13年かかったけど、野球をやっていて良かった。本当に嬉しいです」。目に溜まった熱いものが今にもあふれ出さんばかりの状態でヒーローインタビューに答えた高木。古田敦也捕手からウイニングボールを手渡されると笑顔になったが、白球をみつめながらしばらく言葉が出なかった。

 プロ入り13年目での初完封はプロ野球2人目の最も遅い記録。もう1人は阪急の戸田善紀投手で75年(昭50)5月5日、平和台での太平洋(現西武)7回戦で4安打無失点に抑えた。くしくも高木は86年、同じ阪急でドラフト1位としてプロの第1歩を踏み出していた。
 150キロ左腕として期待されたが、阪急、オリックス時代は90年の6勝が最高。94年にトレードでダイエーに移籍。しかし、1勝もできずに97年オフに戦力外通告。ドラ1の栄光から11年の歳月が流れていた。
 阪神の入団テストを受けるも不合格。投手で合格したのは一度打者に転向していたロッテ・遠山奨志投手だった。「情けなかった」と振り返る高木は、最後のチャンスとなったヤクルトの秋季キャンプに参加。“再生工場長”の野村克也監督のメガネの奥の鋭い眼光が高木をとらえた。「使えるカーブを持っているな。巨人の松井(秀喜外野手)退治の秘密兵器や」。野村監督自ら、カーブの握りを指導するなどの熱の入れようで入団が決定。なんとか野球選手として首がつながった。
 野村監督は98年を最後にヤクルトを退団したが、高木には置き土産をしていった。かつて150キロ近いストレートを投げていた高木も、30歳を過ぎて140キロそこそこのスピードに落ちていたが、野村監督は「球威のない分、腕の出所を見にくくしろ」と生き残りのヒントを与えた。上手に加え、横から投げるフォームに若松勉監督となった99年の春季キャンプから本格的に取り組んだ。すると面白いように打者が打ち取れるようになった。手応えを感じてのシーズンイン。8年ぶりの白星、13年目にしての完封完投の予感は開幕からあった。
 「何で打てんのや。真っ直ぐとカーブだけのピッチャーやぞ。真っ直ぐも138キロや。ああいうやさしい投手を打てないのは問題や」。黄金時代を築き上げたヤクルトからどん底にあえぐ阪神に移った野村監督は、かつての愛弟子に完ぺきにやられおかんむり。高木は「きょう僕が投げられるのは、野村さんのおかげです」と言ったが、“恩をアダで返した”形となった。
 野村再生工場で再スタートを切ってから12年目の09年、高木はまだロッテで現役投手としてマウンドに立っている。現役23年目、41歳。05年からは黒星なしで、チームにとって貴重な中継ぎ左腕として活躍している。

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