日めくりプロ野球 5月

【5月10日】1989年(平元) 斎藤雅樹、11試合連続完投の第1歩は汚名返上登板だった

[ 2009年5月1日 06:00 ]

89年5月30日、新潟での大洋戦で完封勝利を収めた斎藤。通算426試合登板180勝96敗、防御率2・77
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 【巨人5-4大洋】4点あったリードがわずか1点になった。なおも1死満塁。「ここで代えたら、何にもならない。切り抜けることが大切なんだ」。ベンチの巨人・藤田元司監督は動かなかった。前年88年から対巨人11連敗中の大洋は代打の切り札、ベテラン加藤博一外野手を送った。
 「まだ勝っているんだ。逃げるな、思い切って行こう」。“ノミの心臓”と周囲に言われ続けてきたマウンド上の巨人・斎藤雅樹投手は自分に言い聞かせた。真っ直ぐを強振した加藤の当たりは、痛烈な一ゴロ。バットの芯でとらえていたが、前進守備の駒田徳広一塁手が捕球すると3-2-3の併殺打。斎藤がピンチをしのいだ。

 最終回は8回のピンチがウソのように3者凡退に抑え、152球を要しながら完投勝利で3勝目をマーク。「心臓に悪いぞ!コノヤロー」。女房役の中尾孝義捕手にキツい祝福の言葉とともにウイニングボールを手渡された斎藤。「広島でのことがあった後だし、負けるわけにはいかなかった。内容的にはいろいろあるけど、まずは勝てたことでホッとしている」とようやく笑顔になった。
 「広島のこと」があったからこそ中2日での先発登板となった。5月7日、広島市民球場での広島5回戦。先発した斎藤は1回3失点、わずか31球でKOされた。うなだれる斎藤に、藤田監督はベンチに戻ってくるや否や「きょうはもういい!」と厳しい口調で言われた。そして少し間を置いて、指揮官はこう続けた。「10日の大洋戦でもう1度行くぞ」。投手としてここまで投げられたのは、藤田監督がいたからこそ。その期待を裏切るわけにはいかなかった。
 入団1年目の夏。2軍の視察に訪れた藤田監督は、制球の不安定な斎藤の投球フォームをサイドハンドにするよう指示した。類まれな打撃センスを生かし、大型遊撃手として育てようという計画がファームで持ち上がっていた矢先のことだった。投手斎藤はこれで救われ、85年には12勝と才能を開花させた。 しかし、その後7勝、0勝、6勝と伸び悩み、藤田監督の復帰が決まった88年のシーズンオフに打者転向説が再燃した。藤田監督、中村稔投手コーチはこれに真っ向反対。「アイツは気が弱いんじゃない。自信さえつけば斎藤は15勝はできる投手。これからもピッチャーで行く」。救われたのは2度目。後は結果を出すしかなかった。
 大洋戦で何とか完投した斎藤は変身した。外角球がシュート回転して甘く入らなくなり、カーブ、スライダーのコントロールも正確になった。中尾が要求する右打者へのシュートの連投など、捕手に引っ張られてという面もあったが、自分のボールに自信を持てるようになったのが、何よりも大きかった。
 5月30日、新潟での大洋5回戦で完封勝利を収め、4戦連続完投。ハーラーダービートップの6勝、勝率8割5分7厘、防御率1・97で“三冠”に立つと、6連続完投勝利となった6月10日のヤクルト8回戦では、66年(昭41)の堀内恒夫投手以来、球団23年ぶりの3試合連続完封を達成した。6月24日の阪神12回戦(甲子園)で4安打10三振1失点で10勝目を挙げ、これで8連続完投。7月8日の大洋13回戦(横浜)では、78年に近鉄・鈴木啓示投手が記録した、10試合連続完投勝利に並んだ。
 プロ野球新記録の11連続完投勝利を3安打完封で飾ったのは、7月15日のヤクルト13回戦(東京ドーム)。「今改めてフォームを横にしたことが良かったんだなと思う」。11試合計1397球を振り返り斎藤は藤田監督との運命の出会いを懐かしむように思い出していた。その恩師の理想はさらに高かった。「ここからが本当の投手、真のエースになれるかどうかが決まる。日本記録で満足しないでほしい」。
 この89年と翌90年に20勝した斎藤。沢村賞3回、最多勝5回、開幕戦3年連続完封勝利、そして11試合連続完投。どれもプロ野球記録だ。藤田監督のいう「本当の投手、真のエース」として、巨人の栄光の歴史に名前を残す大投手となった。

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