日めくりプロ野球 5月

【5月30日】1959年(昭34) “けんかのハチ”山本八郎 2度目の退場で永平寺へ修行

[ 2008年5月26日 06:00 ]

“暴れん坊”のイメージが強い山本八郎だが、実は退場は生涯2度だけ。あまりにも乱闘のインパクトが強すぎた
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 【近鉄5-4東映】1回裏、4点先行した東映は、一死一、三塁とさらにチャンス。活気づくベンチに岩本義行監督が調子に乗って仕掛けたダブルスチールが事の始まりだった。
 三塁走者は捕手から転向した山本八郎三塁手。一塁走者の稲垣正夫内野手がまず走り、近鉄・加藤昌利捕手が二塁へ送球するや否や、山本がスタートを切った。“ザル”といわれた近鉄内野陣だが、山本がホームに突っ込んだのを見て二塁手はベースの前で捕球して、バックホーム。山本は本塁1メートル手前で楽々アウトになった。

 直後に加藤が左手を押さえてうずくまった。本塁に突入した山本がスパイクの刃を上げて滑り込み、そのため加藤は左ひじと手首を傷めた。「あまり危ないスライディングはするな」。立ち上がった加藤は、ボールを持ったままの右手で山本の肩を軽くたたいて諭した。
 それを殴られたと勘違いした山本。頭に血が上ると冷静さを失った。振り返りざま加藤の左首筋あたりにパンチ。殴られた加藤も負けてはいない。よろけた後に持っていたボールを山本目がけて投げつけた。
 こうなると誰も止められない。両軍ベンチ入り乱れての乱闘劇に発展。バットを担いで、グラウンドに飛び出す控え野手、ブルペンで肩を作っていた投手陣もとりあえず“参戦”。試合は25分間近く中断した。
 現役時代“猛牛”の異名をとった、近鉄・千葉茂監督が「あんな危ないスライディングは許せない。試合なんてできない」と息巻いて、山本の即刻退場を審判団に求めた。結局、非を認めた岩本監督が山本を自主的に退場させることで決着した。
 話はここで終わらない。山本は前年に続いて2度目の無期限出場停止処分を受けた。山本に“前”があったことで、事は大きくなった。
 前年の58年5月10日、駒沢球場で初ナイターが開催された東映-南海4回戦で山本は角田隆良一塁塁審の判定に激高し、そのほおに往復ビンタを食らわせて退場。パ・リーグは出場停止処分にした。同年6月24日に山本が深く反省し、ファンからの復帰嘆願書も多数届いたことから、処分を解除。気持ちを入れ直したが、別名“けんかのハチ”ともいわれた、気の短い選手の性格はやはりそのままだった。
 母親が「プロ野球の世界から身を引かせる」とまで言った2度目の処分。結局、約20日間、福井・永平寺にこもり“修行”することで反省の意を示した。「忍」と「和」の心を学んだ山本が復帰を許され、再度ユニホームを着たのはシーズン終盤の9月だった。
 “駒沢の暴れん坊”と称された、荒っぽい東映ナインの代表格のように言われた山本だが、実は退場はこの2回だけ。乱暴者のイメージが先行してしまい、損をした選手だったが、大阪・浪商高(現、大体大浪商高)の後輩である張本勲、尾崎行雄ら東映を支えたスター選手は、みな兄のように慕った。
 63年にその因縁の近鉄に移籍すると、自己最多の22本塁打を放ち、バファローズナインにも慕われた。67年に通算1100安打で引退。163盗塁と俊足でもあった。
 引退後は千葉・鴨川シーワールドでシャチの飼育係に転身。以後、大阪で実家の生花店を継ぐなど、球界と一線を引いた生活を送った。
 

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