日めくりプロ野球 5月

【5月28日】1980年(昭55) 張本勲、前人未到の3000本安打達成

[ 2008年5月19日 06:00 ]

プロ野球界前人未到の3000本安打の本塁打を放った瞬間ヘルメットを放り投げ、打球の行方をしっかり目に焼き付けている張本。ロッテベンチも総立ちで祝福した
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 【ロッテ11―4阪急】打球が右翼スタンドに届く前に、男は被っていたヘルメットを空高く放り投げた。現役22年目、ロッテ・張本勲外野手は川崎球場での阪急11回戦の6回、山口高志投手から右翼へ6号2点本塁打を放ち、日本プロ野球界では前人未到の3000本安打を達成した。通算2618試合、9315打席目での快挙だった。

 あっさりとした大記録誕生だった。山口の初球のシュート。真ん中に甘く入ったところを強振した。「あと1本で3000安打ということは知っていた。逃げずに向かっていったので悔いはない。僕が絶好調の時なら…」と山口。右肩痛に悩まされ、150キロ以上といわれた豪速球がみられなくなった投手は、大打者とはいえ40歳の選手に完璧にはじき返されたことが悔しくて仕方がなかった。
 「感無量で言葉が出ない」。試合終了後、多弁な張本が声を詰まらせた。初めて首位を獲得した、東映(現日本ハム)時代の61年(昭36)、「1度くらい賞をもらったからといって慢心してはいけません」と諭した母親(79)が体調不良おして、広島から川崎に駆けつけ、試合後対面するともう涙が止まらない。東映での恩師・水原茂元監督に手を握られた時にこう言った。「自分自身をほめてやりたい」。
  本来は右利き。4歳のとき、やけどをして小指の自由が利かなくなった。そのため、左投げ左打ちで野球をやり、大阪の名門・浪商高に進んだ。
 初安打はルーキーイヤーの59年4月11日、阪急2回戦(駒沢)。秋本祐作投手から二塁打を放った。続く2打席目には石井茂雄投手からプロ1号本塁打。この年、張本は新人王を獲得。以後パ・リーグで3年連続を含む7度の首位打者に輝いた。
 パを代表するスラッガーではあったが、首脳陣と考え方が相反することも多かった。東映、日拓、日本ハムとチームの経営母体がめまぐるしく変わった時期の75年オフ、かつて“駒沢の暴れん坊”といわれたフライヤーズの色を一掃したいとする、日本ハム・大社義規オーナーの意向で、張本はトレードの対象になった。売り込んだ先は巨人。球団初の最下位と低迷したことから、張本を獲得し王貞治一塁手とともに、ON砲に代わるOH砲でV奪回を狙った。
 76、77年と長嶋巨人のリーグ2連覇に3番打者として貢献した張本。しかし、79年、チームが5位に終わると、衰えのみえた左打者を放出し、投手陣の強化が優先課題となった。
 「このままでは巨人はダメになる」の言葉を残し、ロッテに入団。ここを最後の居場所と決め、3000本安打に向かってまい進した。
 金田正一投手の通算400勝と張本の通算3085本安打は、日本球界において今後誰も到達できない“アンタッチャブル・レコード”と言われてきた。その張本の大記録に迫っているのが、大リーグ・マリナーズのイチロー。08年5月27日現在、イチローの日米通算安打数は2933本。張本との差はわずか152本だ。
 イチローの日本での安打数は1278本で、半数以上がメジャーでの記録。これをもって張本の記録を抜いたとすることに異議を唱えている意見もある。
 イチローは張本について「いつも僕を叱ってくれる存在でいてほしい」と笑って話しているが、ヒットを打つことに関してはオレが日本一と自負する往年の大打者はイチローの“その瞬間”にどんなコメントを口にするのか。その日は確実に近づいている。

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