日めくりプロ野球 5月

【5月17日】1987年(昭62) 赤鬼旋風で青鬼退散?レスカーノ「ボールが怖い」

[ 2008年5月12日 06:00 ]

来日初出場のヤクルト戦で3安打を放ったレスカーノ(左)は「打たなきゃコレだよ」と首に手をあてておどける
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 ヤクルトに途中加入した、“赤鬼”ことボブ・ホーナー内野手が2試合4本塁打の衝撃のデビューをした5月。プエルトリコ出身のカリブの“青鬼”は来日1カ月強で大洋を退団した。
 「自分の野球人生は燃え尽きてしまった。今までなら打てたボール、カットできたボールに体がついていかない。150キロのボールも怖くなかったが、今は140キロのボールにさえ向かって行けない」。目に涙を浮かべて横浜スタジアムで会見した、シクスト・レスカーノ外野手にメジャー12年間で148本塁打を放った風格は既になく、会見を終えたその足で成田から帰国の途に就いた。

 4月19日のヤクルト3回戦(神宮)で4打数3安打1打点の好スタートを切ったものの、結局20試合に出場したのみ。89打数15安打3本塁打7打点17三振、打率2割1分7厘がその成績の全てだった。
 1週間前はこんな日が来るとは想像できなかった。5月10日、横浜スタジアムでの巨人4回戦。「5番・右翼」でスタメンのレスカーノは初回、巨人先発の水野雄仁投手から左中間へ先制の2号3点本塁打。6回には2番手の斎藤雅樹投手からシュートを左翼席上段へ運ぶ2ランと、この日2本塁打5打点で大洋の連敗を5で止めるヒーローとなった。
 開幕後の緊急来日でコンディションは未調整のままゲームに出ていたレスカーノ。この日、長崎・佐世保では周囲からライバル視されたホーナーがデーゲームの広島戦で2本塁打を放っていたことも刺激されたのか、試合前から気合の入り方がいつもと違っていた。 「体調が戻ればもっと打てると思う。今は日本の投手、審判、それに文化、食べ物に慣れようとしているところ。もう少し時間がかかるかもしれないが、期待してほしい」。広島で4度優勝した、古葉竹識監督を迎え“体質改善”を図った大洋にとって頼もしい助っ人の言葉は、長年肩身の狭い思いをしてきたホエールズファンを喜ばせた。
 ところが、翌日からは全く別人になってしまった。外角のスライダーなど、変化球に弱い傾向があることを各球団につかまれると、徹底してそこを攻められた。7試合22打席無安打のスランプに陥り、2アーチを放った巨人戦終了時に3割1分3厘あった打率は一気に2割1分7厘まで落ち込んだ。眠れない日々を過ごし、チームメイトのカルロス・ポンセ外野手にも「自分の打撃ができない。何もかも分からなくなった」と悩みを打ち明けていた。
 生真面目な性格で悩み事があると、考え込むタイプ。83年、大リーグフィリーズではワールドシリーズで4番を任されたが、考えすぎて体調を崩し、試合に欠場したこともあった。加えて夫人が筋無力症という難病にかかり、娘も病気がちという心配の種があった。85年でメジャーを退き、ウインターリーグなどに参加したのも夫人を看病するためだった。大リーグの実績が十分でありながら、ホーナーの10分の1の1年契約年俸3000万円と報酬の背景は、1年のブランクがあったからだった。
 レスカーノの入団で前年の86年に14本塁打75打点、打率2割9分1厘とまずまずの成績を残した、ダグラス・ローマン外野手は入れ替わるように退団しており、補充がきかない大洋は急きょブルワーズからジェームス・アドゥーチ外野手を獲得した。レスカーノを紹介したブルワーズが責任を感じて、メジャーに一番近い男としてホエールズに送り込んだものだった。
 しかし、大リーグ昇格を望んでいたアドゥーチのモチベーションはあまり上がらず、82試合で13本塁打48打点2割6分8厘の成績で1年限りで退団。1人の外国人選手の翻意で2人の有望選手にとばっちりを受けたことは間違いなかった。レスカーノは退団後、故郷のプエルトリコに帰り、アマ野球の指導にあたったという。

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