日めくりプロ野球 5月

【5月15日】1998年(平10) 腹痛ニール、不屈の3ラン放って病院直行

[ 2008年5月8日 06:00 ]

99年7月22日、ダイエー19回戦の試合前にはグリーンスタジアム神戸でオリックスナインに祝福され結婚式を挙げたニール
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 【オリックス13-2ダイエー】打球がスタンドインしたにもかかわらず、全速力でダイヤモンドを駆け抜けた。チームメイトとのハイタッチもそこそこに背番号99はロッカームに消えた。
 ホームラン談話を尋ねるチームの広報担当者。彼に個人的恨みは全くないが、この時ほど煩わしいと思ったことはなかった。「打ったのはカーブ。それどころじゃないんだ腹は痛いし、気持ち悪いし。もういいだろう」とだけ言うと、ユニホームを脱ぎ散らかし、トイレに直行。出てくるや否や、急いで病院へ向かった。
 オリックス、トロイ・ニール外野手は神戸でのダイエー6回戦に「4番・DH」に入っていた。ところが、試合前から激しいおう吐に下痢、そして腹痛に襲われ、脂汗を流しながらベンチ裏でのた打ち回っていた。

 メンバー交換をした後だったが、見かねた仰木彬監督がダイエー・王貞治監督に事情を説明。了承を得て試合開始後、藤本博史内野手を代わりに起用することになった。
 午後6時試合開始。場内放送で交代が告げられた。その直後だった。公式記録員から“待った”がかかった。記録員が示した公認野球規則六・一〇、指名打者の項のbにはこう記してあった。
 「試合前に交換された打順表に記載された指名打者、相手チームの先発投手に対して、少なくとも1度は、打撃を完了しなければ交代できない」。腹が痛かろうと、下痢をしてようとニールはダイエー先発の吉武真太郎投手と1打席は対戦しなければならないというルールを現場は把握していなかった。
 既に私服に着替えて病院へ行こうとしていたニールをチームスタッフが急いで呼び戻した。打席に入らなければならなくなったニールはそれを聞いて、また吐き気をもよおすも、仕方なく再度ユニホームを着て登場。顔面蒼白、下を向いたままの大男は左打席に入った。
 正直、どんな結果でもいいから早く終わりたかった。吉武が投げた甘いカーブを振りぬくと、打球は右翼スタンドへ。3号2ラン本塁打となった。ニールの姿を同情しながら見ていた王監督の表情が、急に厳しくなったのは言うまでもない。
 オリックスはニールの“不屈”の一発で打線が爆発。18安打13点の猛攻でダイエーに爆勝。風邪による体調不良と診断されたニールは西宮市内の病院で点滴を受けながらチームの大勝の一報を聞いた。
 1度は解雇されたオリックスが貧打解消のために、再契約して1週間前に再来日したばかりだった。96年には本塁打、打点の2冠王、巨人との日本シリーズではMVPに選ばれた球団の歴史に足跡を残した外国人選手も97年オフに年俸2億2000万円の高額がネックとなり、退団に追い込まれた。
 大リーグ、エンゼルスに拾われたものの、開幕は3Aスタート。年俸は2億超どころか、2000万円に満たないものになっていた。
 そこへオリックスから復帰の打診を受けた。年俸は契約金と合わせて6500万円と値切られたが、日本での栄光を忘れられなかったニールにとっては渡りに船の話だった。
 そんな出戻り助っ人も00年に仰木監督との確執で2度目の退団。同年オリックス入りしたジョージ・アリアス内野手に使えるメドが立ったことから、3度目の返り咲きはならなかった。
 99年7月22日、ダイエー19回戦の試合前にはグリーンスタジアム神戸でなんと両チームのナインに祝福されながらカナダ人女性と結婚式を行った。新婦の介添人はオリックスの佐藤義則2軍投手コーチがニール夫妻の要望で務めた。
 その夜、ニールは試合で大爆発、とはいかなかった。右手を打撲し、結婚式当日に2軍落ちしていたからだ。どこまでもトラブルの多く、それでいて印象に残る外国人選手だった。

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