日めくりプロ野球 5月

【5月13日】2006年(平18) 立浪和義、世界の王を超えた172回目の猛打賞

[ 2008年5月8日 06:00 ]

2000本安打を放ち、PL学園の先輩、清原に祝福される立浪和義
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 【中日10-1楽天】数多くの球団記録を塗り替えた中日・立浪和義内野手に、また一つ勲章が増えた。ナゴヤドームでの交流戦、楽天2回戦に「6番・三塁」でスタメン出場した19年目のベテランは、青山浩二、有銘兼久両投手から計3安打を放ち、今季初の猛打賞。通算172回目の1試合3安打以上となり、巨人・王貞治一塁手の171回を抜いた。これで阪急(現オリックス)の福本豊外野手の178度に次いで歴代5位となった。

 開幕から1カ月以上過ぎてからの固め打ちに「やっとやね。遅すぎるけど」と照れ笑い。3度の出塁すべてで生還するチャンスメークの役割を果たし、05年から続いていた楽天戦での地元連敗を4で止めた。
 立浪の07年終了時の猛打賞は計173。現役20年を超え、スタメン出場の可能性が極端に低くなり、バット1本の代打稼業に立ち位置を置かざるを得ない状況では、福本の記録はもとより、歴代1位の張本勲外野手の251回やセ・リーグ記録の巨人・長嶋茂雄三塁手の186回の記録更新は難しいが、その長嶋の通算安打数2471本へはあと26本(08年5月13日現在)。27本打てば、歴代7位となる。“ON超え”を達成できるかどうか、今後の立浪のバットに注目が集まる。
 ところで、この猛打賞の起源は一体、いつごろなのだろうか。1試合3安打以上を記録すると、各球場ではタオルや健康飲料、食事券などさまざまな賞品が該当する選手に贈られるが、その歴史は1949年(昭24)、まだセパ両リーグに分裂する前の1リーグ時代までさかのぼる。命名したのは同年4月に日本野球連盟に就職した、後の芥川賞作家・清岡卓行であった。
 清岡は翌年、プロ野球が2リーグ制に移行すると、セ・リーグの事務局に勤務。退職する64年まで主に公式戦日程の作成にあたった。当時はフランチャイズ制ではなく、地方での試合も相当数含まれ、日程編成は困難を極めたが、東大仏文科出身の清岡は英語にも堪能で大リーグの試合運営法なども原書を取り寄せ研究。選手個人や球団によってバラバラだった統一契約書を、メジャーリーグの書式を参考に日本独自のものにしてこれを誕生させた。
 中国・大連で生まれ育った清岡は野球選手としての経験はなく、かといって野球通でもなかった。戦後の混乱期、大陸から引き揚げてきた清岡は当時妻子持ちで姉の家に間借りをして生活していた。日々の生活費を得るため、たまたま職員を募集していた野球連盟に就職したのだった。
 60年前に野球とはほとんど無縁だった作家が残した野球用語や制度が現在でも残っていることはとても興味深い。

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