日めくりプロ野球 5月

【5月11日】1985年(昭60) プロ初打席が一番輝いた、脱サラルーキー青島健太

[ 2008年5月8日 06:00 ]

6回、プロ初打席で初本塁打を放ったヤクルト・青島健太は喜び勇んでダイヤモンドを一周した
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 【ヤクルト7-2阪神】1軍昇格を果たしたその日に、いきなり見せ場はやってきた。 社会人野球・東芝からドラフト外でヤクルトに入団した、青島健太内野手は阪神4回戦(神宮)の6回に代打で登場。工藤一彦投手の2球目をたたき、中堅左に飛び込む特大の本塁打を放った。青島にとってこれが1軍初の試合出場。初打席での本塁打デビューはプロ野球20人目(当時)、ヤクルトとしては球団初の快挙だった。

 全力疾走の青島は、二塁ベースに近づいたところで本塁打と分かり思わずガッツポーズ。「真ん中のまっすぐ。力いっぱい振りました。センターの頭を越えたとは思っていたので、全力で走った。後はもう何も覚えてません」と興奮する背番号4。東芝時代もノンプロ初打席は本塁打デビューと、“何か”を持ったルーキーが華々しくプロの第一歩を歩み始めた。
 開幕から低空飛行のスワローズは青島のダメ押しとなる一撃でようやくシーズン5勝目。土橋正幸監督は「強運を持った新人がこれからの起爆剤になってくれるよ」と上機嫌で担当記者団と談笑した。
 27歳、覚悟のプロ入りだった。埼玉・春日部高から受験をして慶大法学部に合格。高2の秋に関東大会ベスト4入りして春のセンバツ初出場の可能性もあったが、補欠校止まりで甲子園には縁がなかった。それでもスラッガーの呼び声高かったスラッガーは慶大1年春からベンチ入り。その才能が一気に開花したのが79年。3年生秋のシーズンで6本塁打、22打点の六大学新記録をマーク。主将になった80年は、早大からプロ入りした阪神・岡田彰布内野手に匹敵する評価を受け、ドラフトの目玉としてマークされた。
 しかし、青島はプロ入りを拒否した。「岡田さんと比較されるのはおこがましい。好きなプロ球団もないし、社会人野球で活躍したい」という意思を最後まで示し、強行指名する球団もなく、数社の誘いの中から東芝を選択した。プロ側が食指を伸ばさなかったのは、4年になって打撃の調子が上がらず、実力に疑問符がつけられ、プロ側がリストから外した背景もあった。
 東芝では中軸打者として活躍。全日本にも選出されるなどしたが、相変わらずプロ入りには消極的だった。そんな青島が一転してプロ志望に傾いたのはノンプロ4年目。「引退して仕事に専念するつもりで取り組んできたら、急に野球を捨てるのが惜しい気になった。4年間の社会人生活で自分はどうもサラリーマンには向いてないようだし、野球を続けながら仕事をするのも中途半端。だったら、プロの世界で力を試してみようと思った」。
 「即戦力。あのパンチ力は魅力」(巨人)「打撃技術はプロの水準」(近鉄)と獲得の意思を示す球団がある一方、「既に峠を越えた選手」(阪神)「年齢的に厳しい。大物だけに獲得資金もかかる」(大洋)と厳しい評価を下す球団も多かった。結局、84年のドラフトでは指名されず、退社を決意した青島は宙ぶらりんの状態で1カ月を過ごした。
 海外留学も考え始めた青島に声をかけたのがヤクルトだった。当初、ヤクルトはドラフト1位指名した広沢克己内野手(明大)を競合で獲得できなかった場合のハズレ1位としてリストアップしていたが、西武、日本ハムを退け当たりくじを引いたことで青島の1位指名は幻に終わった。
 青島獲得が再燃したのは12月に入ってから。本塁打の打てる外国人選手と契約寸前までいったが、これがご破算となり、急きょ青島にターゲットを移した。当初背番号は「10」が用意されたが、日本人が嫌う「4」になったのは「人が嫌がるからと思ってあえて4番にした。僕はひとクセもふたクセもある。入団の仕方もクセがあった。4番は青島と言われるようになりたい」と本来は目立ちたがり屋の性格が出た入団となった。
 本塁打デビューで順調な滑り出しをみせた青島だったが、社会人での金属バットに慣れたバッティングは粗さが目立ち、2、3年目は打率1割台に低迷。故障にも泣かされ続けた。
 入団時はスター扱いされた青島も次世代のスターが入団すると、居場所がなくなりつつあった。次世代スターは88年入団の長嶋一茂三塁手。ポジションも同じサード。ミスタージャイアンツ、長嶋茂雄内野手に憧れ、尊敬していた青島はその息子に追いやられる形となった。
 長嶋入団の88年、翌89年に1軍出場なしで引退。通算96試合で15安打、自慢の長打力は本塁打2本に終わった。
 しかし、野球以外に伝えることの才能に長けていた青島の人生は引退後に大きく開けた。オーストラリア留学後にキャスターとして人気を得、スポーツジャーナリストとして認められた。05年には野球部を立ち上げた社会人のセガサミーの監督に就任するなど、活躍の場は多岐に渡っている。

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