日めくりプロ野球 5月

【5月9日】1990年(平2) 痛恨の160球目 パ初の大記録を逃した渡辺久信

[ 2008年4月30日 06:00 ]

96年6月11日、オリックス戦でノーヒットノーランを達成して清原(背番号3)らに祝福される渡辺久信
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 【西武2-0日本ハム】日本ハム・小川浩一三塁手の放った痛烈なゴロが一、二塁間を襲った。懸命にファーストミットを差し出す西武・清原和博一塁手の右横をすり抜け、名手・辻発彦二塁手がダイビングするも届かなかった。平野謙右翼手が無念の表情でボールをつかむと、東京ドームには4万7000人の大観衆の歓声ともため息ともとれる大きなどよめきが響き渡った。

 マウンドでは西武・渡辺久信投手が苦笑い。日本ハム3回戦、延長11回一死まで無安打無得点に抑えていた快投も痛恨の160球目、126キロのスライダーをたたかれてジ・エンド。延長戦でのノーヒットノーランはパ・リーグでは初、プロ野球全体でみても73年8月30日に阪神・江夏豊投手が中日20回戦(甲子園)で記録して以来の快挙だっただけに、ライオンズファンの嘆きはかなりのものだった。
 しかし、渡辺久はファンと一緒に気落ちするわけにはいかなかった。まだ、試合の白黒はついていない。気を取り直して、その後の二死一、二塁のピンチもウインタース右翼手を145キロの真っ直ぐで三塁フライに打ち取り、サヨナラ負けという最悪の展開は回避した。
 この“奮投”に打線が遅まきながら奮起した。12回に2点を挙げると、後は守護神・鹿取義隆投手が締めて、渡辺久にシーズン4つめの白星が付いた。
 「こういうのは運だから仕方がない。でも、負けなくて良かった」と渡辺久。前回登板の5月1日のダイエー戦。延長10回、自らの失策でピンチを作ると、アップショー一塁手に決勝打を浴びて、151球投げながら敗戦投手に。ノーヒットノーランを逃し、ついていないとも考えられるが、負けずに勝ち星がついたことを素直に喜びたかったようだ。
 「1点でもやったら(ノーヒットノーランを)やられると思ったから、7回くらいから必死だった」とは、渡辺久と投げ合った柴田保光投手。その2週間前、同じ東京ドームで近鉄相手にノーヒットノーランを演じていた柴田は、大記録のにおいを嗅ぎとっていた。11回まで7安打されながらも粘りの投球をみせ、西武打線に得点を許さなかった。しかし、渡辺久の記録が断たれると気が抜けたかのように2点を奪われ敗戦投手になってしまった。
 過去延長戦に無安打無得点試合を打ち砕かれた投手は渡辺久を入れて8人(当時)いたが、その後ノーヒットノーランを達成したのは2人。うち1人が渡辺久だった。
 痛恨の160球目から6年が過ぎた、96年6月11日。西武球場でのオリックス12回戦に先発した渡辺久は四球5個を出しながらも投球数114、三振3、内野ゴロ12、内野飛球4、外野飛球5でブルーウェーブを抑えた。西武球場開場18年目にして初のノーヒットノーラン試合だった。
 6年前はストレートで主体で打つなら打ってみろという強気な投球だったが、30歳になったナベキューは公私ともに師と仰ぐ、東尾修監督のすすめもあってスライダーとシュートで打たせて取る投手にモデルチェンジ。アウトの半分近くを占めた内野ゴロは変化球を有効に使ったことを意味するものだった。
 群馬・前橋工高3年夏の県予選でノーヒットノーラン達成目前の9回一死で交代させられたことがあった。「高校野球に個人記録はいらない」という監督の方針だった。
 あれから13年。個人の力で道を切り開くしかないプロ野球の世界で自ら史上63人目(当時)の金字塔を打ち立てた。「運がないとできない記録。大福がきいたかな」と試合前に、西武ファンの女優・吉永小百合から差し入れられた縁起のいい甘味に感謝する背番号41だった。

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