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【4月15日】2006年(平18) 残念…八木智哉 それでも史上初の延長無安打無得点リレー

延長10回を無安打無得点に抑えた日本ハム・八木
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【4月15日】2006年(平18) 残念…八木智哉 それでも史上初の延長12回ノーヒットノーランリレー
 【日本ハム1―0ソフトバンク】150球投げ抜いても報われなかった、とは思っていない。150球完璧に投げ抜いたからこそ、こうやって笑顔でいることができる。

日本ハムのルーキー左腕、八木智哉投手は勝ち星が付かなくても、3番手で最後を締めたマイケル中村投手からウイニングボールを手渡され時、心からそう思っていた。

 敵地ヤフードームでのソフトバンク4回戦。先発の八木は延長10回まで投げ無失点。それどころか4四球を出したものの無安打投球を演じた。後を継いだ武田久、マイケルも安打を許さず、延長12回に待望の1点を入れた日本ハムが4時間58分の緊迫した試合を制した。

 過去継投によるノーヒットノーランは、さかのぼること65年前、太平洋戦争が始まった1941年(昭16)6月22日に黒鷲が、同年8月2日に阪急が、ともに名古屋軍(現中日)を相手に2投手で達成したことがあったが、延長戦でしかも3投手のリレーによる無安打無得点試合はプロ野球史上初の快挙だった。

プレッシャーのかかる中で延長戦の1イニングを締めた武田とマイケルも立派だが、八木の快投がなければあり得なかった記録。ウイニングボールを手渡されるのも当然だった。

 八木は10回も振り逃げで走者を1人出したが、ヒットは打たれなかった。11回もマウンドへ行くのか。トレイ・ヒルマン監督の判断に注目が集まった。指揮官自ら、新人左腕のところへ歩み寄り、通訳を介してねぎらいの言葉をかけた。

 「延長戦の緊迫した状況を投げ切り、残念だけど精神的にもここまでだと思った。球数?それは考えなかった」とヒルマン監督。逆に大記録の可能性が断ち切られた八木の方が「あれだけ球数を投げていれば仕方ない」と降板に納得していた。

 八木のベストピッチに応えるためにもとチームが奮い立った。12回、決勝の1点のきっかけを作ったのはチームリーダーの小笠原道大一塁手の中前打。「八木には申し訳なかった。せめてチームの勝利で許してもらわないと」。1死一、三塁。相手の前進守備にもかかわらず、遊ゴロで果敢にホームへ走った。

 大胆不敵な投球もさることながら、この年12勝をマークして新人王に輝いた左腕の原点は、山梨・日本航空高時代の経験にあった。 練習試合で8失点KOされ「1年間走ってろ。投球練習するな」と監督に言われた。走り込みの毎日の中で八木は夜中に一人起きて室内練習場でネットに向かって投げ続けた。近所から夜中に電気をつけて…と苦情が来てバレたという。「せめて練習量だけは負けたくない」という思いが八木を駆り立てていた。プロに入ってもそれは変らず「無茶苦茶走る。放っておいても走る。間違いなくチームで一番」。当時の佐藤義則投手コーチはそう証言した。

 ルーキーイヤー以後の4年は09年の9勝が目立つ程度で、不振の年が多い。復活が待たれる左腕だ。

[ 2011年4月15日 06:00 ]

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