日めくりプロ野球 4月

【4月12日】1970年(昭45) 不吉な予感…ヤクルト 公式戦初戦はなすすべなしの完封負け

[ 2011年4月12日 06:00 ]

 【阪神3―0ヤクルト】雨で1日順延したセ・リーグの開幕戦。甲子園では、69年から事実上オーナー企業となり、サンケイから完全に球団経営権を取得したヤクルトが「ヤクルト・アトムズ」として最初のシーズンを迎えた。

 2年目の別所毅彦監督は開幕前、「選手層が厚くなり、人海戦術も可能になった。今年は十分戦えるという実感がある」と手応えを感じてシーズンイン。しかし、現実は厳しかった。

 阪神先発の江夏豊はヤクルト打線を翻弄。決して調子は良くなく、最後までストレートは走らなかったが、カーブを有効に使い、毎回の12奪三振で3安打完封勝ち。ヤクルトは三塁も踏めず、別所監督が期待をかけた、3番チャンス一塁手、4番ロバーツ右翼手のCR砲は5三振では得点の入りようもなかった。別所監督は「3安打じゃ勝てん。江夏が良かった。ただそれだけ」と手短にコメントすると、さっさと球場を後にした。

 これがつまづきの始まりだった。特に江夏に対しては手も足も出ない状態が続き、5月16日の阪神4回戦で早くも3試合連続のシャットアウト負け。7月28日の11回戦でようやく31イニングぶりに得点したが、対江夏には6敗江完封と顔を見るのも嫌ほどひねられ続けた。

 江夏にだけでなく、この年のヤクルトは負けに負けた。33勝92敗5分けと優勝した巨人とのゲーム差は45・5。巨人と阪神にはそれぞれ5勝ずつしかできず、逆に計42敗を喫した。

 「選手層が厚くなった」と自信を持っていた別所監督の人海戦術だったが、裏を返せばレギュラーが固定せず、先発投手陣が安定していないということだった。

 ヤクルトは1年を通してのべ2007人の選手を起用。1試合当たり15・4人はリーグ最多だった。だが、選手を代えればこ代えるほど成績は悪くなる一方。12人まで起用の試合は15勝8敗だったが、13人以上となると18勝84敗5分け。19人以上使った試合は20試合もあったが、全敗した。
 7月4日からの11連敗。8月19日には2度目の11連敗で別所監督が辞任。小川善治代理監督が指揮を執ったが、連敗は16まで達し、8月26日の中日19回戦で延長13回、東条文博二塁手がサヨナラヒットを放ってようやくストップ。悪夢の8月の成績は5勝19敗で勝率2割8厘、チーム打率は1割9分7厘と目を覆うばかりだった。

 “ヤクルト元年”は最悪のスタートとなった。71年からは名将・三原脩監督が就任。借金60に届こうかというチームの建て直しを図ったが、その道は険しかった。広岡達朗監督の下、ヤクルトが初優勝を果たすのは、78年まで待たなければならなかった。
 

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