日めくりプロ野球 4月

【4月11日】1981年(昭56) “スミ1安打”完封 定岡正二「知らなかった アチャーッ」

[ 2011年4月11日 06:00 ]

 【巨人1―0阪神】阪神最後の打者、北村照文右翼手をストレートで空振り三振を奪った背番号20は両腕を高く掲げガッツポーズ。中畑清三塁手の値千金のソロ本塁打による1点を守り、定岡正二投手はシーズン1勝目を完封で飾った。

 ナインの祝福を受けた後、記者に囲まれた定岡はさりげなく尋ねた。「ところで、オレ何本打たれたの?」。阪神打線に許した安打がわずか1本と聞くと、大声を上げた。「ええっ、ホントに?全然知らなかったよ。アチャーッ…」。

 わずか1本。それもいきなりやられた。初回、この試合最後の打者になった1番北村に左翼線に二塁打を浴びた。前日の10日に勝っている阪神がその勢いのまま定岡に襲いかかった。

 ただ、7年目になる右腕は冷静だった。後続を断ち切り無得点に抑えると、あとはスイスイ。強気に内角を攻め、三振こそ5つとそれほど多くはなかったが、阪神にまともにバットを振らせず凡打の山を築かせた。「真っ直ぐが良かったから変化球が生きた。プロに入って最高のピッチング」と自己評価も満点だった。

 気がつけば、安打は最初の打者の1本だけの“スミ1安打”。しかも無四球。あの1本さえなければ、完全試合達成だった。「僕に投げたあの1球だけ甘かった。後は打てるボールがなかった」と完全試合を阻止した“殊勲”の北村。阪神の先発、中田良弘投手も7安打されながら、本塁打による1失点と粘投したが、定岡のピッチングは完璧。藤田元司監督をして「全く心配要らなかった」と言わしめた。

 “スミ1安打”無四球完封はなんと25年ぶり2度目。1956年(昭31)6月6日、同じ甲子園での阪神―大洋15回戦で、抜群のコントロールで“精密機械”と呼ばれた、阪神・小山正明投手が、初回に沖山光利左翼手に中前打を許した以外、27人を完全押さえて以来。

 翌57年7月6日に西鉄・稲尾和久投手も平和台での阪急11回戦(平和台)で“スミ1安打”投球で白星が付いたが、このときは先頭のバルボン二塁手に本塁打を打たれ、1失点。完封はならなかった。

 25年ぶりの記録の6日前、4月5日の後楽園での中日3回戦に先発した定岡は3回で“KO”されていた。中日・石井昭男外野手のライナーを右のおでこに受けて卒倒。そのまま担架で運ばれた。

 「顔がグシャグシャになったと…。もう野球もできないし、短い人生だったという思いが頭の中を駆け巡った」と定岡。幸い一度グラブに打球がかすったことで衝撃がやわらぎ、大事には至らなかったが、それ以来の登板で快投を演じた。「あれで気合が入ったのかな」と笑顔がはじけた。

 定岡はこの年初の2ケタ11勝を挙げ、名実共に江川卓、西本聖両投手と並んで巨人投手陣の3本柱に成長した。85年に引退するまで完封勝利は7度あったが、無四球試合はこれが最初で最後だった。
 

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