日めくりプロ野球 4月

【4月1日】1978年(昭53) 31年ぶりの山倉和博 長嶋監督「雰囲気があるんだよなあ」

[ 2011年4月1日 06:00 ]

巨人の正捕手として活躍した山倉和博
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 【巨人7―6阪神】低い弾道ながら、打球は吸い込まれるように左翼スタンドに突き刺さった。早大時代は4年間でわずか2本塁打の巨人の新人・山倉和博捕手が、阪神のエース・江本孟紀投手から開幕戦で、しかもプロ2打席目で記念すべき初本塁打を放った。

 新人捕手の開幕戦アーチは60年(昭35)、大洋の黒木基康捕手が、中日戦(中日球場)で記録して以来、実に18年ぶりの快挙だった。

 それでも万歳をするわけでもなし、大はしゃぎするわけでもない。「そりゃ嬉しいですよ」という試合後のコメントからは考えられない、淡々とした表情でダイヤモンドを1周した。ベンチの巨人ナインが半ばあきれながら言った。「本当に何を考えているのか分からんヤツや」。

 声が小さい、態度がふてぶてしい、新人らしさがない…。自主トレ、キャンプからドラフト1位への印象は結構厳しかった。付いたあだ名が“ナマクラ”。口数も多いほうではない。穏やかな顔つきのため、覇気がなさそうにも見えてしまう。損なところもあった。肝心の捕手としての資質は、さすがに法大・江川卓投手に次いで、全ドラフト指名の中で2番目に名前が挙がっただけのことはあったが、先輩諸氏のウケという点では決して良いものではなかった。

 しかし、長嶋茂雄監督は全く違った見方をしていた。声が小さくても、のそっとしているようでも、野球人・長嶋にはビビビときていた。「打撃なら笠間(雄二捕手)、肩なら福島(知春捕手)の方が上。でも、山倉にはどっしりとした風格がある。雰囲気がある。捕手として大事なものを持っている」。

 笠間も福島も前年の77年、巨人がペナントレースを半ば独走態勢に入った夏ごろから時々使われ始め、経験はルーキー山倉よりあったが、さすがそこはミスター。長嶋監督にしか分からないひらめきもあって、山倉の開幕スタメン起用をオープン戦終盤に決定。巨人軍史上、47年(昭22)4月18日の中日戦で武宮敏明捕手がマスクをかぶって以来、31年ぶりの開幕戦新人捕手先発起用となった。

 「投手をリード?そんなことできませんよ。堀内(恒夫投手)さんの指示で投げてもらった。僕は捕っているだけ」と種明かしまでしてしまったが、9回に1点差に迫られても交代はしなかった。「山倉?落ち着いていたね。ベテランみたいに。ああいうのが投手は安心するんだ」。長嶋監督は的中した新人の起用にご機嫌。その後、笠間は80年に阪急へ、福島は84年にロッテへとトレード。長嶋監督、後を継いだ藤田元司監督の山倉への信頼は変ることがなかった。

 愛知・東邦高時代も南海からドラフト2位で指名された。当時の野村克也監督が自ら足を運び交渉に当たったが、「僕は早稲田に進学します。南海には行きません」と言ったきり沈黙。何を聞いてもほとんど答えない、高校3年生にさすがにノムさんもお手上げ。「全く使えないか、逆にプロですぐ使えるか、どちらかやな」という印象を抱いたという。

 4年後のドラフトでも、阪神を除く11球団がマーク。郷里の中日か在京セ・リーグ以外はお断りと強い意志を示した。77年11月22日のドラフトで、巨人の意中の恋人は江川だったが、いの一番選手を指名できるくじを引いたのは、クラウン(現西武)。江川の交渉権を目の前で奪われた巨人は、投手ではなく山倉を指名。「希望以外だったら社会人」と公言していただけに、山倉にとっては幸運の2番くじだったことになる。

 11年からソフトバンクのバッテリーコーチとして、かつて袖にしたホークスのスタッフになっている。

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