日めくりプロ野球 4月

【4月26日】2008年(平20) 土盛しても土付かず!ブラウン監督退場で6連勝!

[ 2010年4月1日 06:00 ]

 【広島2―1横浜】真っ赤な帽子をかぶった男は、顔面を真っ赤にしながらホームベースの前に立つと、両足で土を掘り出した。掘り返された土をベースの上に集め、これを隠し、さらにひざをついてしゃがみ両手で固めた。最後に帽子を放り投げて、ふり返りもせずにベンチ裏へ。広島のマーティ・ブラウン監督、これが6度目の退場だった。

 7回無死一、二塁で5番前田智徳右翼手がバントの構えからバットを引くと、判定は空振り。これにブラウン監督が激怒し、谷博球審に大声を出して詰め寄ると、突然の退場宣告。谷球審いわく「暴言を吐いた」ということだった。
 ブラウン監督の“ベース隠し”は、退場劇の“恒例”。むしろファンは待っていましたとばかり大喜び。ベンチもまったく慌てない。監督代行を務めた、リブジー・ベンチコーチは冷静にブラウン監督の意図を汲み、後半戦を指揮した。「もう慣れているさ。監督がいなくなるときはいつも試合の中で重要なポイントの場面。あれで選手の目の色が変わった。アグレッシブな反応を見せてくれた」。
 前田は一転して強攻し、右前打。満塁とすると6番スコット・シーボル三塁手が適時打を放ち、0―0の均衡を破ると、8回には代打の緒方耕一外野手が貴重な追加点となる適時二塁打。「監督の退場で士気が上がった」とベテランの奮起も促し、接戦を制した。
 監督就任3年目で6度目の退場。監督として6度以上の退場は、ロッテ・金田正一監督、日本ハム・大沢啓二監督の名前が挙げられるが、金田監督は8年、大沢監督も9年の監督生活での数字。ブラウンのそれはまさにスピード記録だった。
 初退場は06年5月7日の中日8回戦(広島)。一塁でのアウト、セーフの判定をめぐり激高し、一塁ベースを引っこ抜いて右翼方向へ放り投げた。退場が宣告されると、審判に深々とお辞儀をし、さらにファンに帽子を高々と振りながら、グラウンドを後にするパフォーマンスをやってのけた。以来、ブラウン監督が抗議をすると、球場は別の意味で大盛り上がり。異様な雰囲気が漂い、それが試合の流れに大きく影響した。
 ベース投げの試合で広島は5―3で逆転勝ちすると、監督が退場した試合は軒並み勝利。このホームベースを土で隠したこの横浜戦も勝って、負け知らずの6連勝となった。不敗神話は評判となり、球場に足を運ぶファンの中にはカープが劣勢の時にブラウン監督の“ひと暴れ”を密かに期待したことも少なくなかった。
 7度目の退場となったのは09年4月7日、甲子園での阪神1回戦。初回に本塁でのクロスプレーの判定をめぐり、退場を言い渡されたが、広島は7回に7点を奪い逆転。7連勝でまた神話は続くと思われたが、最大6点差ありながら、9回に阪神・金本知憲左翼手の逆転二塁打を食らいサヨナラ負け。藤本定義元阪神監督と並ぶ、監督最多退場記録と並んだ夜に、退場勝利劇場の幕は下りてしまった。
 10年からは楽天監督に就任。4月3日のソフトバンク2回戦で、ホームベース砂かけ退場を“演じる”、新天地初パフォーマンスを開幕10試合目でみせたが、この試合は6―10で落とした。新チームでは、監督が退場すると必ず負けるという“神話”にならなければいいが…。

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