日めくりプロ野球 4月

【4月25日】1974年(昭49) あの男を見たのはこの日が最後だった バール・スノー失踪

[ 2010年4月1日 06:00 ]

 「サンキュー、この日が来るのを待っていたんだ!」。嬉しそうに声を弾ませた29歳の右腕投手は、上機嫌でナイターが始まる前の後楽園を後にし、夕闇に消えていった。
 日本ハムの新外国人、バール・スノー投手は1軍の試合前に、山根俊英投手コーチに「あした(26日)に多摩川で先発だ」と告げられた。入団してちょうど1カ月。2軍で2週間、1軍に帯同しながら2週間調整を続けてきたが、2軍戦ながらいよいよベールを脱ぐ時が来た。

 この日は給料日、月給50万円は7年ブランクのあった元商社マンのバールにとっては、異国の地でもらう大金。同じ日に日本での実戦初登板も決まり、周囲にはヤル気満々に見えていた。
 26日は雨で多摩川のイースタンリーグ、日本ハム―ヤクルト戦は中止に。バールはグラウンドに現れなかった。「雨で中止と思ってこなかったんだ」と2軍スタッフは解釈。確認の電話を宿泊先のホテルに入れたがつかまらなかった。中止の場合は27日に投げることをあらかじめ伝えていたため、ホテルまで出向きはせず「明日は来るだろう」ぐらいの気持ちでいた。
 ところが27日、どんなに待ってもバールは姿を見せなかった。球団関係者がホテルに迎えに行くと、荷物はすっかりなくなっていた。必死になって捜すも全く分からず、バールを球団に紹介した貿易会社の社長はバールの故郷米ユタ州のオフィスや両親、果ては恋人のところまで電話したが消息はつかめなかった。分かったのは27日の朝にホテルをチェックアウトしていたこと。宿泊費は球団持ちだが、国際電話料金の約1万円は自腹で払っていた。
 飛行機の搭乗名簿を調べたが該当人物の名前はなし。「富山にオープン戦に行った時、旅館で英語ができる娘さんと意気投合していた」なんていう選手からの情報で、旅館に連絡をしてみたりと…四方八方手を尽くしたが結局わからずじまい。ただ1つ分かったことは、25日に銀行口座に振り込まれていた5月分の給与(4月分は契約時に前渡ししていた)がきれいに引き出されていたことだった。
 30日になっても消息が分からず、球団はやむなく契約解除と同時に、野球協約に基づいて失格選手としてパ・リーグ連盟に申請した。黒い霧事件、賭博行為や犯罪などで失格選手となったプレーヤーはいたが、理由が「サボタージュ」、いわゆるサボリでクビになった選手は前代未聞のことだった。
 給与泥棒投手は一体どこにいたのか?居所が分かったのは5月2日。ちゃっかり故郷に帰っていた。失踪中どこにいたのか、どういう生活をしていたのかは不明。逃げた理由についても、専属通訳がいなかったからという話もあったが、はっきりしないまま。給料の返還も求めたが「もうほとんど残っていない」とか…。これ以上関わってもメリットなしと判断した日本ハムは契約解除だけで矛を収めた。
 貿易商社の社員として来日した際に「俺の腕を見てくれ」と、大リーグニューヨーク・メッツのジャンパーを着て売り込みに来たのが3月20日。球団発足1年目のファイターズはとにかく投手不足。冗談半分でテストしたところ「低めにビシビシくる。これは掘り出し物かも」と中西太監督は大喜び。3日後にはチームの顔、張本勲外野手が打席に立ち、打ってみると「なかなかいい。真っ直ぐが速くてしかも低めに来る」と評価し、球団は合格を決定。契約金なしの年俸600万円で契約した。
 本人曰く、大学を出た後、1966年(昭41)にメッツ傘下の1A、翌年はシンシナティ・レッズの傘下に所属。計19試合で2勝5敗だったと説明。「レッズでは大リーグ昇格するチャンスがあったが、交通事故で左足を骨折しダメだった」と話した。
 最近ではこんな話はもうないが、プロ野球史上最悪外国人の一人に数えられることは間違いない。

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