日めくりプロ野球 4月

【4月24日】1977年(昭52) “弾丸”投手ブレット 来日早々救世主宣言 ところが…

[ 2010年4月1日 06:00 ]

わずか来日44日で帰国してしまったブレット
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 投手陣のやりくりが厳しい大洋(現横浜)はメジャーで通算14勝の右腕、ロバート・アレン・レイノルズ投手を獲得。1メートル83、93キロのやや太めの30歳は、グラマラスなフィアンセとともに来日した。

 早速記者会見を開いた同投手の口からは実に頼もしい言葉が次々と聞かれた。「オレはアメリカでは“ブリット(弾丸)”と呼ばれていた。それくらい球が速いってことさ。だから自信のあるボールは直球。スライダー、チェンジアップも投げる。みんな低めに決める自信がある」「3、4日あればベストコンディションになる。ホエールズは去年最下位だって?オレが救世主になるさ」「サダハル・オー?もちろん知っている。偉大なバッターだ。が、オレもメジャーではハンク・アーロンと勝負して一度も打たれたことがない。ベストで投げればオーも抑えられる」。
 大洋・別当薫監督が聞いたら泣いて喜ぶようなセリフの数々。サンフランシスコ・ジャイアンツにトレードマネー1200万円を支払い、急きょ獲得した右腕に球団は、ブリットの愛称をさらに読みやすく「ブレット」として登録。球団は多摩川で調整させ、5月の巨人戦での登板を計画した。
 5月11日、川崎球場での巨人7回戦。満を持して、先発したブレットはまず先頭の高田繁三塁手から三振を奪った。速球派と聞いていたが、高田を仕留めたのはチェンジアップ。「イメージを逆手にとってきたな」と巨人ベンチは読んだが、投げるにつれてそうでもないことがわかってきた。
 スピードガンのない時代、正確な球速は分からないが、ストレートはせいぜい130キロ前半程度。“弾丸”には程遠い速さだった。変化球も高く浮き、ストライクが入らない。3番張本勲左翼手、4番王貞治一塁手を四球で歩かせると、5番柳田俊郎右翼手に痛烈なライナーで右前に弾き返され、1点を失った。
 2回は無得点で切り抜けたが、3回も四球の走者を再び柳田に還され2点目が巨人に入った。一向に良くなる兆しがない背番号31にベンチは早々と見切りをつけ交代。2番手の新人、斉藤明雄投手が踏ん張り、大洋は3―2で逆転勝ちしたが、救世主となるはずの右腕に大きな不安を抱いた。
 調整不足と判断した首脳陣は半月の時間を与え、1軍帯同でコンディションを整えさせ、5月26日の阪神11回戦(川崎)に先発させた。結果は1回3分の1を投げ、4安打2四球2失点でKO。ストレートは相変わらず“弾丸”ではなかった。
 「オレは間隔を開けるとダメ。連投させてくれ」との要望で2日後の広島戦でリリーフ登板させたが、2回で3安打3四球3失点と最悪の内容に終わった。ベンチ裏でバット2本をへし折り、大荒れのブレット。ひと暴れした後につぶやいた言葉が「アメリカに帰りたい」だった。
 6月1日に「右ひじが痛む。これ以上大洋にいても何の役にも立たない。申し訳ないが退団させてくれ」と願い出た。球団はファームできっちり調整すれば使えるとし、慰留したが退団の意思は堅かった。6日に球団社長が今後のことを話し合うため、借りていたマンションを訪ねると、既にもぬけの殻。“逃げ足”だけは弾丸並み速さだった。
 ただ、金銭持ち逃げが当たり前だったこの手の外国人には珍しく「6月以降のサラリーはいらない」とサインをして帰国。5月分150万円の給与は、恋人との結婚資金になったかどうかは、その後の消息とともにさだかではない。

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