日めくりプロ野球 4月

【4月19日】1970年(昭45) 元祖アイドル太田幸司 プロ初登板はジェットコースター

[ 2010年4月1日 06:00 ]

近鉄から移籍し最後は巨人、阪神にも在籍した太田。通算318試合登板で58勝85敗4セーブだった
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 【近鉄4―2ロッテ】一塁側ベンチの端っこで、うなだれていた18歳の右腕が歓声とともに顔を上げた。近鉄のドラフト1位ルーキー、太田幸司投手は自分の代打で登場した木村重視捕手が放ったライナーの行方を追った。左翼に飛んだ白球はそのまま藤井寺球場の芝生席に突き刺さった。

 9回裏、2―2の同点で迎えた1死二塁の場面に飛び出したサヨナラ本塁打。木村を出迎えるために近鉄ナインが小躍りしながらホームベース付近に駆け寄る中、新人投手はホッとした表情でベンチ前にたたずむばかり。頭の中に浮かんだ言葉は「負けなくてよかった…」。プロ入り初登板初勝利という幸運にも、太田は先輩たちのように素直に喜べなかった。
 初登板は突然やってきた。7回の近鉄の攻撃前、中原宏投手コーチが太田に告げた。「ブルペンで肩作ってこいや」。もしかして、オレが投げるのか?そんなこと昨日までひと言も言っていなかったじゃないか…。太田は慌しくブルペンへと走った。太田に初登板の予告をしなかったのは、近鉄・三原脩流の考えが底にあったからだった。
 「登板を告げて、前の日に眠れなくなったりでもしたら困る。余計なことを考えずに勢いで投げさせるのが新人には一番いいんです」。三原の考えは悪くはなかった。太田はウォームアップ後、1―1のまま8回から登板。あれこれ考えず登板したことで、ヘンに力まなかった。
 先頭の山崎裕之二塁手を右飛に、続く池辺巌外野手をスライダーで空振り三振に仕留めると、3番ロペスは三塁のファウルフライに。計8球。プロの公式戦で初めて投げるとは思えない、落ち着いたようにみえる投球で3者凡退に退けた。本当は余裕なんてなかったが、辻佳紀捕手のミット目がけてただ全力投球するのが精いっぱいだった。
 その裏、味方が1点を勝ち越した。「これで勝てる。初勝利か?」と太田が思い描いた時、野球の神様は太田に意地悪を仕掛けてきた。
 9回、榎本喜八一塁手の2球目に大暴投を投げると、突然ストライクが入らなくなり四球で歩かせた。ロッテは犠打で確実に二塁へ走者を進めると、有藤道世三塁手が登場。太田の1年前のロッテのドラ1は、ストレートをとらえ左越え二塁打を放った。
 榎本に投げた暴投、その時ににらまれた鋭い眼光が太田は忘れられなかった。今で言うところ「目力」に無我夢中の状態から我に返り、急にプロの打者が怖くなった。その結果が有藤の同点打。チームの勝ちと自らの白星が消えた瞬間だった。
 ところが、展開はジェットコースターのようにめまぐるしく変わった。ベンチで頭を抱えている間に出たサヨナラ弾で太田に勝ち星が転がり込んだ。野球は筋書きのないドラマと昔の人よく言ったものだが、まるで三原監督が演出したような太田のためにシナリオを書いたような結末で、初の勝利投手となった。
 青森・三沢高のエースとして甲子園準優勝、元祖甲子園アイドル「コーちゃん」の初勝利に記者は太田を取り囲んだ。ヒーローながらほとんど相手にされなかったのは、サヨナラ弾を打った木村だった。23歳の控え捕手はこれがプロ通算16本目のアーチだが、サヨナラは初。木村は77年までプレーしたが、このホームランこそプロ選手として最後の一撃だった。
 太田はその後も良きにつけ、悪しきにつけ常に脚光を浴びる存在だったが、木村にはスポットライトはなかなか当たらなかった。スター選手というのは、やはり何か“持っている”のである。

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