日めくりプロ野球 4月

【4月16日】1985年(昭60) 名手落球…河埜和正の運命を変えた、あの日のショートフライ

[ 2010年4月1日 06:00 ]

名手・河埜の落球の瞬間。ペナントレースの流れさえも左右する大きなプレーだった
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 【阪神10―2巨人】雨上がりの夜空に高く舞い上がった、二塁ベース付近のフライだった。巨人の篠塚利夫二塁手と河埜和正遊撃手の2人が落下点へと走った。
篠塚が身を引き、河埜が捕球体勢に入った。足を動かし、体勢を微調整した時だった。河埜は右足が雨に濡れた芝の上で滑るのを感じた。バランスをやや崩した時に白球がちょうど落ちてくると、ゴールデングラブ賞まで獲った名手がこれをグラブに当てて落球した。

 4回2死一塁。打ち取ったと確信した、マウンド上の加藤初投手はもう三塁側のベンチに歩を進めていた。目を離したときに耳に入ってきた「ワーッ!」という4万5000人の驚きの束。目の前を通った一塁走者の岡田彰布二塁手がホームに向かって疾走している光景を見ても何がなんだか分からなかった。慌ててバックホームする河埜。返球がマウンドでバウンドして大きくそれた間に、岡田は本塁を駆け抜けていた。
 岡田が生還し2―2の同点。確か平凡な遊飛を打ち上げたはずの佐野好仙左翼手が二塁に立っている。攻守交替のはずが加藤はマウンドに戻って次の打者、平田勝男遊撃手にまた投げなければならなかった。
 伝統の阪神―巨人の85年第1戦は思いもよらぬプレーで大きく流れが変わった。この試合に限ったことではない。阪神は河埜の痛恨の落球のあと、怒とうの攻撃で一挙7点を奪い、2点を先制した巨人を一蹴。その余波は翌17日以降も収まらず、伝説のバックスクリーン3連発での逆転勝ち、18日も勝って対巨人3連勝の阪神はそのまま突っ走り、21年ぶりのリーグ優勝、2リーグ分裂後初の日本一とつながった。
 そしてこの落球は河埜の人生そのものも一変してしまった。ファームで5年間、“鬼軍曹”こと須藤豊守備コーチに徹底的に鍛えられ、V9戦士の黒江透修遊撃手に代わって、74年から12年、巨人のレギュラーを張ってきた男はそれ以来、本来のプレーが出来なくなってしまった。
「ゴロもそうだが、普通に上がったフライなんて落としたこともなかったし、難しくてもフライはキャッチできると思っていた」というベテランの自信をすべて失わせた、何でもない飛球。以後、河埜は守りについていても怯えているような表情で、打球がショートに行くと、球場中から悲鳴が上がった。
 4月28日、神宮でのヤクルト2回戦の初回、八重樫幸雄捕手の飛球を再度落球し、逆転のタイムリーエラーを犯した河埜はレギュラーを獲得して以来、けが以外では一度もなかったファーム行きを王貞治監督に命じられた。懲罰というより、精神的にまいっている河埜をリフレッシュさせるためだった。
 が、34歳の名手とまで言われたベテランはもう立ち直る気配すらなかった。5月22日、川崎球場でのロッテとのイースタンリーグの試合に登録抹消以来初めてスタメン出場した河埜はなんと2失策。平凡なゴロをポロリとやり、一塁への悪送球で相手に得点まで与えてしまった。打つ方でも1本二塁打はあったが、2三振に2併殺打。1軍レギュラーの面影は感じられなかった。
 翌86年に引退。43試合に出場したが、かつてのポジションショートでの出場はわずか18試合。代打だけでなく二塁や三塁までやらされての最後だった。
 河埜が落球で1軍登録から抹消されたのと入れ替わりに昇格したのが、入団3年目、後に河埜に匹敵する名手と呼ばれた、まだ21歳の川相昌弘内野手。巨人の世代交代はこうして進んでいった。

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