日めくりプロ野球 4月

【4月13日】1981年(昭56) 話が違う…台湾球界の星・高英傑 すったもんだの末に残留

[ 2010年4月1日 06:00 ]

台湾期待の星だった高英傑のピッチング
Photo By スポニチ

 南海ホークスの2軍選手が日々汗を流す大阪・中モズ球場。心機一転して練習に励む2人の外国人選手がいた。左腕の高英傑投手と強打の李来発捕手はこの日から休んでいた練習に参加。それぞれのメニューをこなした。
 子供の頃からバッテリーを組み、リトル・リーグ世界選手権で優勝、アマ世界選手権にも6度出場した台湾が誇る両雄に、信じられない運命が降りかかったのは、その10日前のことだった。

 南海はシーズンイン直前に、打線強化のため、西武のカルロス・タイロン外野手を名取和彦投手とのトレードで獲得した。ドン・ブレイザー監督たっての願いで成立した急転直下の交換だった。
 タイロンの加入で南海の外国人選手は高、李に加え、クリス・メイ外野手の4人となった。当時、1軍の試合に出場できる外国人は2人。2軍を含めた支配下登録は3人までという決まりがあった。タイロンが来るまでは、3人でこれといって問題はなかったが、4人になれば1人は練習生(現在の育成選手扱い)にならざるを得ない。前年80年に1軍で3勝(1敗)の高はともかく、正直なところ、高の“刺身のつま”で入団した李は1軍への道がほぼ閉ざされることになる。これに怒ったのが李ではなく、親友の高だった。
 「入団した時と話が違う。2人の打者が1軍入りするに決まっている。僕と李が一緒に1軍に上がれることができなくなるのなら、日本にいる意味がない。台湾に帰る」。高の態度は強硬だった。ブレイザー監督が米国留学を勧めても、あくまで2人で1軍入りしバッテリーを組むという夢が実現しないのなら故郷に帰ると言い張った。
 大リーグのシンシナティ・レッズからの3年越しの誘いを断り、高が南海入りを決めたのも「李と一緒に」という条件があったればこそだった。高の評価は日本の各球団も高く、獲得を検討した球団もあったが、李については「パワーはあるが恐らく日本の投手が投げる変化球には対応できない」という評価だった。にもかかわらず、当時の南海の担当スカウトは高欲しさに李にも声をかけた。「それが問題を難しくした」と球団関係者はため息をついたが、後悔しても遅かった。
 結局、在日の台湾の世話役に間に入ってもらい、球団が台湾野球関係者に謝ることで一件落着。高、李両選手にも積極的にチャンスを与える約束をした。
 残留問題が出たころ、肘を痛めて打者転向を打診されていた高はバッティングでも非凡なセンスを見せた。転向1年目のウエスタンリーグで打点王のタイトルを獲得。途中戦線離脱したメイに代わり1軍に昇格すると、6月27日の阪急戦で今井雄太郎投手から初本塁打を記録。30試合に出場した。
 一方、練習生となった李もはい上がった。82年に1軍に初昇格すると、持ち前のパンチ力で放った6安打中2本が本塁打。83年も代打要員として15試合出場で10安打を放ち、1本塁打も記録。打撃センスは高の方が上とされたが、本塁打数は李の方が上回った。
 しかし、李が1軍に上がったのとすれ違いに高は投手を辞めていた。5年目の84年、打者としても限界を感じていた高は8月になって投手再転向を首脳陣に打診。認められたが、かつて145キロを誇ったストレートは全く走らず、ファームの打者にも打たれた。この年を最後に2人は戦力外通告され帰国した。

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