日めくりプロ野球 4月

【4月8日】1988年(昭63) 東京ドーム1号本塁打は元メジャーリーガー・デシンセイ

[ 2010年4月1日 06:00 ]

東京ドーム初本塁打を放ったヤクルト・デシンセイ
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 【ヤクルト4―2巨人】左翼席へ糸を引くようなライナーがそのまま突き刺さった。ヤクルトの新外国人、ダグ・デシンセイ三塁手が来日初打席で初本塁打を放った。
 同様の記録はプロ野球史上22人目(当時)で、外国人としては6人目。戦後の巨人軍史上、最年少20歳の開幕投手、桑田真澄のスライダーをとらえた一発は、この年オープンした東京ドームの公式戦第1号本塁打でもあった。

 東京では4月としては80年ぶりの大雪となった開幕戦。早くも屋根付き球場の威力を発揮した東京ドームは試合中止になることもなく88年のペナントレース初戦が行われた。記念すべきドーム最初の一発に巨人の選手の名前が刻めなかっただけでなく、ビジターのヤクルトに逆転負け。観戦された皇太子ご一家(当時)の前でのつまずきが、ドーム元年、絶対優勝の至上命令が出ていた王貞治監督率いるチームの前途を暗示しているかのようだった。
 「大変光栄なこと。嬉しいよ」。ドーム1号弾に控えめなコメントを残したデシンセイ。打席に入った時はまだ興奮冷めやらぬ状態だった。初回、巨人の3番ウォーレン・クロマティ中堅手の三塁ファウルエリアへのハーフライナーをダイビングキャッチ。ところが松橋慶季三塁塁審はワンバウンドしたとファウルの判定を下した。これに猛抗議した、37歳の元メジャーリーガーは今にもつかみかからんばかりの勢いだった。
 山本文男球審が直接捕球したことを認め、判定はアウトになったが、来日最初の公式戦でのプレーにケチをつけられた格好の助っ人は「オレは頭にきた。あんなジャッジは許されない」と、フツフツと沸き上がるものを感じながら、最初の打席に入った。
 そして4球目をたたいて推定飛距離120メートルの一撃に。大リーグ歴15年、237本塁打を記録した男はボルティモア・オリオールズに在籍していた、79年のワールドシリーズでも初打席初本塁打を記録。日米で2本の“初”を記録した。
 デシンセイ言った。「遊びの時間(オープン戦)は終わった。これからが本番」。翌9日の2試合目も、最初の打席で先制の2号本塁打。有言実行、さすがに1億円以上の大枚をはたいて獲得した大物「デーやん」(関根潤三監督)に球団は大きな期待をかけた。
 が、実績も人柄も問題のない優良外国人がウインターミーティングの席上、自ら売込みに来たのにはそれなりの理由があった。80年に腰を痛め、ヘルニアと診断されたデシンセイは再三の手術の機会を拒み、そのままプレーを続けた。次第に悪化する持病に所属していたエンゼルスはシーズン途中でカージナルスへ放出。3年連続だった20本塁打以上も16本に減り、メジャーで積極的に契約を結ぼうとする球団はなかった。
 腰に“爆弾”を抱えての来日。その後も2試合連続サヨナラ本塁打など実力の片りんを見せ付けたが、夏場に状態は悪化。ついに8月、治療のため米国へ帰国。1年契約だったため、そのまま退団となった。
 その後、父親が経営していた建築会社を引き継ぎ、事業は順調でメジャー時代の1億円超の年俸に引けをとらない年収で資産家に。趣味で野球中継の解説を務めるなど、悠々自適の生活を送った。

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