日めくりプロ野球 4月

【4月29日】1972年(昭47) 伝説の右腕と2人だけ 外木場義郎3度目の大記録

[ 2009年4月1日 06:00 ]

巨人相手にノーヒットノーランを演じた外木場(右から2人目)はナインに祝福され最高の笑顔
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 【広島3-0巨人】高々と上がった飛球はファウルフライだった。捕手がバックネットにへばりつくように、白球が落ちてくるのを待った。ガッチリと捕球したと同時に広島市民球場のあちらこちらから観客がグラウンドになだれを打って下りてきた。
 腕を引っ張られるわ、胴上げされそうになるわ、体中のあちらこちらは叩かれるわ…。手荒い祝福の嵐を受けたのは、7年連続日本一の巨人を相手にノーヒットノーランを演じた広島のエース・外木場(そとこば)義郎投手。投球数93球。1四球1失策で2人の走者を出したが、得点と安打は許さなかった。

 予感はあった。登板前、外野の端から端までを走ってウォームアップする外木場は、いつになく体が軽く感じた。ブルペンに入ってもそれは変わらず、腕が振れて球が走っているのが自分でも分かった。「ソト、きょうはえらく(球が)走っとるよ。ストレート、いけるで!」。マスクをかぶるベテラン久保祥次捕手が太鼓判を押すと、運まで外木場に味方した。
 2回、先頭の4番長嶋茂雄三塁手はカウント1-1から三村敏之遊撃手の頭上を襲うライナー。これを三村がジャンプ一番で好捕。5回、5番末次民夫中堅手の三塁線の強いゴロを西本明和三塁手がダイビングキャッチし、間一髪のところでアウトにした。
 「何かヘンだ」。外木場は時々そう感じながら投げていた。注意して周囲を見ると、巨人の牧野茂三塁コーチがコーチスボックスから外木場の球の握りを見破り、打者に声やしぐさで教えていた。末次にヒット性の当たりをされた直後、外木場はある作戦に出た。わざと握りを見せた後、グラブの中で握りを変えて投げた。すると、巨人の打者の当たりは鈍くなり、以後は強い当たりがなくなった。
 嫌な予感もあった。7回2死から3番王貞治一塁手を四球で歩かせた。打者は長嶋。「あの時と同じだ」。前年71年6月8日、巨人5回戦(後楽園)で6回までパーフェクトだった外木場は7回、王を歩かせた後、長嶋に2点本塁打を浴びた。全く同じ状況に陥り、右腕は開き直った。「チョーさんとはもらっている給料が違うんじゃ。打たれても当たり前じゃ」。
 カウント1-1からシュートを投げ込むと、力ない右飛。長嶋がバットを叩きつけたのを見ると「今日こそいける」と確信した。
 プロ入り初勝利となった65年10月2日、阪神20回戦(甲子園)でノーヒットノーラン。68年9月14日、大洋18回戦(広島)ではパーフェクトゲーム、そして今回の巨人戦。3度の大記録を達成したのは、戦前1リーグ時代の沢村栄治投手と最多タイ記録。沢村は完全試合は1度もなく、その点では外木場の方が“一枚上”だった。
 伝説の右腕の記録と並んだ外木場だが、沢村には特別な思いがあった。背番号は同じ14、本格派右腕で背丈も1メートル75だった。3度の大記録も嬉しかったが、格別な思いを抱いたのが75年。広島が球団創設26年目にして初優勝した年に20勝をマークし、見事沢村賞を受賞した時だった。「沢村さんの名前がついた投手として最高の賞。感無量です」と外木場にとって、投手人生最高の瞬間だった。
 しかし、これが外木場のピークだった。翌76年に10勝はしたものの、右肩痛で戦線離脱。その後の3年間でわずか2勝。79年10月14日、広島でのシーズン最後の試合となった巨人戦で現役を引退した。
 広島はこの年、4年ぶりにセ・リーグを制し、近鉄を倒して初の日本一になった。弱体カープのエースとして巨人の前に立ちふさがり、初優勝までもたらした右腕はチームの黄金時代到来を見届けて静かにユニホームを脱いだ。

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