日めくりプロ野球 4月

【4月28日】1956年(昭31) プロ72打席目 ノムさん通算657本塁打の第1歩

[ 2009年4月1日 06:00 ]

1軍デビュー当時の野村。57年にレギュラー捕手となってからは変化球打ちで苦労したが、持ち前の観察眼でこれを克服。65年に戦後初の三冠王に輝いた
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 【毎日7-4南海】20歳の捕手は簡単に2球で追い込まれた。走者は一、二塁。得点差は2点。一発出れば逆転だが、まだ1軍でスタメンに起用され始めたばかりの南海・野村克也捕手には、そんなことなど思いもつかなかった。
 「とにかく次につなげよう」その一心だった。余裕のない打席の野村に、既に1軍でシーズン3勝をマークしていた同級生の中川隆投手は3球勝負に出た。決め球はフォークボール。セットポジションから左足が上がった。

 しかし、中川は「フォークの握りそこない」を野村に投じてしまった。力のない半速球はド真ん中にきた。無我夢中で強振した打球は、後楽園球場の左中間中段へあっと言う間に飛び込んだ。逆転3ラン本塁打。もっとゆっくり走ればいいものを、野村は全力疾走のごとく、あっという間にダイヤモンドを一周した。
 「これでプロでメシが食っていけるかもしれない」。プロ3年目の8番打者はこの時そう思った。世界の本塁打王、巨人・王貞治一塁手に次ぐ日本球界歴代2位の657本塁打を放った野村のこれがプロアーチだった。
 試合は8回に5点を奪われ、逆転負けだったが、“生涯一捕手”が生涯忘れることのできない1本。通算72打席目での初本塁打は、27打席目の王、22打席目の巨人・長嶋茂雄三塁手、2打席目の西武・清原和博一塁手と比べると、かなりの遅いものだった。
 テスト生で入団し、通称「壁」と呼ばれるブルペン捕手程度の扱いだったのは有名な話。いつ首が切られるかわからない戦力通告の恐怖におびえながら迎えた3年目のこの年、開幕から1軍ベンチには入れたのは、地道に人よりも何倍も努力したことが実を結んだ結果だった。
 「野村のバッティング。あれはひょっとしたら上で使えるかもしれない」と、鶴岡一人監督に進言したのは、岡村俊昭打撃コーチ。これでハワイでのスプリングキャンプに参加が決まった。初の海外キャンプで1軍捕手陣が遊びほうけて体調を崩したり、故障したりで野村は練習試合の大半ででマスクをかぶった。ここで本塁打を放ち、持ち前のバッティングをアピールできたことが大きかった。鶴岡監督は「今回のキャンプの収穫は野村」という帰国後の記者会見でのひと言を自信を持った野村は開幕1軍を果たした。
 初安打も遅かった。開幕から10試合目の4月9日の近鉄3回戦(藤井寺)で辻中貞年投手から代打で左前打を放った。シーズン20打席目、54年に1軍デビューした野村は11打席無安打だったことから、足かけ3年通算31打席目でようやく通算打率3分2厘の数字が記録された。
 実質プロ1年目となった、56年は129試合に出場し、2割5分2厘で7本塁打。初めて4番に座ったのが10月1日の西鉄22回戦(大阪)。3打席目で送りバントを命じられる、まだ“4番目に打つバッター”だった。
 そんな野村だったが、56年にベストナインに選ばれると、翌57年には30本塁打で初のタイトルを獲得。トッププレーヤーの道を歩みだした。初本塁打から58年、4球団目の監督となった野村は通算1500勝に王手をかけている。

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