日めくりプロ野球 4月

【4月21日】1984年(昭59) もう“ニャンコ”なんて言わせない!?藤本修二、初登板初勝利

[ 2009年4月1日 06:00 ]

阪急戦に初登板して初勝利を挙げた藤本。西武の新人清原にプロ入り初本塁打を打たれた投手でもあった
Photo By スポニチ

 【南海4-1阪急】9回に2連打を食らい、完投こそ逃したものの、十分すぎる投球内容だった。「あのニャンコがやってくれたで。最高や」と笑いが止まらない南海・穴吹義雄監督とガッチリ握手したのは2年目の右腕、“ニャンコ”こと19歳の藤本修二投手。苦手阪急を1点に抑えて、プロ初登板で初勝利を挙げた。
 ファームで完封を含む3勝をマークし、前日20日に1軍に初昇格したばかり。監督室にあいさつに行くと「明日投げるんやで。ええか、先発で行くからな」といきなり穴吹監督に指令を受けた。

 穴吹監督にとって藤本先発は一つの賭けだった。阪急戦が行われる西宮球場で南海は82年9月8日の20回戦から83年9月24日の24回戦まで1年以上にわたり、1引き分けを挟んで16連敗。84年の西宮初戦も落としていた。「なんとか流れを変えたい。データのないニャンコなら抑えられるかもしれない」と穴吹監督は奇襲作戦に出た。
 案の定、阪急打線は藤本のシュートとカーブに翻弄された。ストレートを痛打されても、変化球で併殺に仕留め3度のピンチを脱した。阪急・上田利治監督も驚きを隠せない。「ええ投手やな。変化球もコントロールもええ。ドラフト5位?南海も安くてええ商品をつかまえたな」。
 「初勝利ですか?嬉しいですよ」と言葉の割には表情がさえない藤本。19歳の若い投手にとって初勝利よりも、気になっていたのは自分につけられたニックネームの“ニャンコ”。「1軍で勝ったんだから、もうみなさん“ニャンコ”って呼ばないでほしいです」と喜びのコメントではなく、報道陣に向かって哀願していた。
 顔が長いことから初めは“ウマ”と呼ばれていた。それが一瞬にして“ニャンコ”に変わったのは、84年2月13日。呉キャンプでの夕食後、宿舎近くの公園を歩いていた藤本は黒ネコを発見。おなかが空いているのか、しきりにニャーニャーないていた。動物好きの藤本は近寄ってポケットに入っていたビスケットのかけらを右手の人差し指に乗せて差し出した。すると黒ネコは指ごとガブリ!。中指に2カ所穴が開いてしまった。診断の結果、軽い裂傷だったが、ばい菌が入って化膿してしまい、1週間投球練習ができなくなってしまった。これを聞いたホークスナインは大笑い。一気に藤本=ニャンコになってしまった。
 「恥ずかしくて、国(愛媛)に帰れない」と嘆く上に、アピールする場のキャンプで出遅れた藤本は開幕2軍スタート。首脳陣の期待を裏切ったが、ウエスタンリーグの開幕戦で近鉄を完封したことで、穴吹監督が再度注目。鬼門・西宮での試合にぶつけた。
 5月には西武戦で初完投勝利。「ニャンコがライオンを平らげる」などの見出しが新聞各紙に躍り、“ニャンコ”返上は簡単ではなかったが、この年7勝。その後8、10、15と年々勝ち星を増やし、南海の主戦投手になると、恥ずかしかったあだ名もいつしか消えていった。
 愛媛・今治西高時代は夏の甲子園8強投手。ホークスから阪神、西武とわたり94年に引退。通算53勝71敗6セーブ。阪神で打撃投手を長く務め、09年現在は1軍用具担当として、裏からタイガースを支えている。

続きを表示

バックナンバー

もっと見る