日めくりプロ野球 4月

【4月20日】1999年(平11) イチロー歴代最速で大台到達 両リーグ初まであと1回を打ち砕く

[ 2009年4月1日 06:00 ]

1000本安打の本塁打を放ち、生還したイチロー(背番号51)を祝福する、おなじみピンクの服を着た林家ペー・パー子夫妻
Photo By スポニチ

 【日本ハム10-2オリックス】09年4月16日(日本時間)に、東映、巨人、ロッテで活躍した張本勲外野手の持つ日本球界最多安打3085安打に並ぶ一撃を満塁本塁打で記録し、翌日には新記録を達成したシアトル・マリナーズのイチロー外野手。その10年前、最初の“大台”である1000本安打を放った時も実は本塁打。しかも大記録を阻む価値ある一発だった。

 日本ハム-オリックス1回戦の9回、無死一塁でイチローは日本ハム・金村暁投手から右中間へ2点本塁打を放った。同じオリックスで活躍した、ブーマ・ウェルズ一塁手の781試合を上回る757試合で1000本に到達。巨人・長嶋茂雄三塁手でさえ849試合目でたどりついた数字を100試合近く早く到達してしまった。
 0-10と大敗ムードの中で出た一撃は、試合の行方にほとんど関係のないものだったが、イチローにとっては納得のいくメモリアル弾だった。「(試合が大差となり)集中しにくい場面で集中できた。その意味では評価したい」とイチロー。東京ドーム三塁側ベンチ真上の最前列の席にはイチローの大ファンのタレント林家ぺー・パー子夫妻が観戦。記録達成の瞬間に「1000本安打おめでとう!イッくん」と書かれたボードを掲げたことを思い出してか「楽しみにしていた人に喜んでもらえたら、それでいいです」と、イチローは周囲が騒ぐほど記録には執着していないといった素振りをみせた。
 1000本安打はさらなる高みを目指しての通過点といった感覚のイチローだったが、報道陣のインタビューの輪が解けたころ、こうつぶやいた。「打てば打つほど、分かってくればくるほど難しいのがバッティング」。いつか到達するであろう2000本、3000本安打の世界。限られたプレーヤーにしか見えない風景が、この時のイチローの前に既に広がりつつあった。
 イチローの1000本安打にスポニチへコメントを寄せた張本氏は「私の通算安打の記録を抜くかもしれない」と予言。「抜いてほしいと思った選手はイチローが初めて。ぜひ彼の3086本目のヒットをこの目で見たい」としていた。
 10年の歳月が過ぎ、張本氏はアメリカで自身の記録が破られる瞬間を目の当たりにした張本氏。「本音を言えば悔しい」というが、昭和の安打製造機が認めた打者はこれからも安打を積み重ね、大リーグ記録のピート・ローズ三塁手(レッズ)が持つ4256安打へ挑戦する。
 ところで、1000本安打を打たれた金村にとっては悔恨の被本塁打だった。8回まで無失点に抑え、このまま完封勝利を挙げれば、開幕から3試合連続完封勝利。セパ両リーグ通じて初の快挙になるはずだった。それがイチローのメモリアル弾で一瞬にして消えてしまった。
 「まさかホームランとは…。しかも9回に…。こんなことで名前を残したくなかった。野口(寿浩捕手)さんの真っ直ぐのサインに首を振ってまで投げた(フォークボール)なのに…。3勝目?嬉しさより悔しい方が大きい」。19日に23歳になったばかりの右腕はまるで敗戦投手のように落ち込んだ。
 イチローに打たれたから、というわけではないのだろうが、金村はこの後調子を崩し、最高のスタートを切ったにもかかわらず、99年はこの3勝でシーズンを終えた。イチローに本塁打を浴びなければ、違ったシーズンになっていたかもしれない。そう思いたくなる、痛恨の本塁打だった。

続きを表示

バックナンバー

もっと見る