日めくりプロ野球 4月

【4月19日】1970年(昭45) 足踏みしましたが…毒島章一、三塁打日本新記録

[ 2009年4月1日 06:00 ]

三塁打王として活躍した毒島。オールスターにも8度出場し、3割8分1厘の好成績を残したが、意外なことに三塁打は1本もなかった
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 【阪急4-2東映】右翼線に飛んだ打球の処理を阪急・長池徳士右翼手が誤って後逸すると、一塁を回った17年目、34歳のベテランのギアはトップに入った。
 二塁を回って、三塁へ悠々セーフ。気になる公式記録は…。長池のエラーが記録されれば、三塁打ではなくなる。背番号33が後楽園球場のセンタースコアボードを振り返った。少し間をおいて「H」のランプが点灯した。東映・毒島(ぶすじま)章一中堅手が通算104本目の三塁打を記録。阪神・金田正泰外野手が持っていた103本を上回り、プロ野球記録を更新した。

 前年69年8月6日の阪急18回戦(西京極)で金田の記録に並んで以来、58試合も足踏みしての新記録。過去4度もリーグ最多三塁打をマークしている毒島だがに「時間がかかった。2000試合出場までにはと思っていたが、なんとか打ててよかった」。8月には史上4人目の2000試合出場も達成。三塁打も2本増えて106本となり70年のシーズンを終えた。次は残り23本に迫った2000本安打。新たな目標が71年のシーズンにできた。
 が、球団は別の面で毒島を必要としていた。松木謙治郎監督の休養に伴い、70年途中から代理監督となった田宮謙次郎コーチが71年から新監督に就任。組閣の際、一番最初にコーチとして名前を挙げたのが毒島の名前だった。水原茂監督時代の8年間、チームの主将を務めた東映一筋の“ミスターフライヤーズ”は2年前から打撃コーチ兼任だったが、こんどはコーチ専任でチームに貢献してほしいと毒島に持ちかけた。
 毒島は即答できなかった。体力の限界がきているならいざ知らず、70年は103試合に出場していた。それに2000本安打まであとわずか。簡単にはい、そうですか、とはいかなかった。田宮新監督は再三毒島を口説いた。「2000本安打は達成したも同じだし、チームの建て直しにぜひ力を貸してほしい」。
 結局、過去2年と同様兼任コーチとして協力することになったが、これまで選手としての立場に重きを置いていたが、今度はそうはいかなかった。事実上ヘッドコーチ格となり、自分の練習は全くできなくなった。71年はわずか出場4試合。しかも、選手を使い果たした後、守る選手がいなくて、54年の入団以来経験したことのない二塁とショートで出るありさま。打席には1度も立てずに、この年引退。東映の生え抜きの選手にしてはあまりにも寂しいにホームの脱ぎ方だった。
 2000本安打で名を残せなかった毒島が記録上誇れるものは2つ。1つは三塁打、もう1つは900打席連続無併殺打の日本記録だった。しかし、時が過ぎれば記録は破られる宿命にある。三塁打は85年に阪急・福本豊外野手が、無併殺打は2001年に広島・金本知憲外野手に塗り替えられた。2000本安打を達成した40人近い打者にも引けをとらぬ選手だっただけに、永くその功績を伝えるためにも大台を達成させたかった選手の一人である。
 毒島はその後、ライオンズのスカウト、コーチとして手腕をふるった。特にスカウトとしては“寝業師”根本陸夫元西武監督の腹心として、巨人に決まりかけていた松沼兄弟を逆転で獲得するなど、西武黄金時代を裏から築き上げた。

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