日めくりプロ野球 4月

【4月18日】1964年(昭39)  審判は見てなかった?三塁コーチが走者押し戻す?

[ 2009年4月1日 06:00 ]

子どものメンコにもなった阪神時代のソロムコ。当時それほど多くなかった青い目の外国人選手ということもあって人気が出た
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 【東京2-0東映】0-0の緊迫したゲームが、さらにエキサイトした。後楽園球場での東映(現日本ハム)-東京(現ロッテ)5回戦の6回、東京は先頭の7番マイク・ソロムコ中堅手が東映・尾崎行雄投手のストレートを左中間に飛ばし二塁打で出塁。均衡を破るチャンスをつかんだ。
 東京ベンチの本堂保次監督は続く前田益穂三塁手に送りバントを命じた。しかし、尾崎のキレのいいカーブに前田はバントを空振り。二塁走者のソロムコは大きく飛び出してしまい、白仁天捕手が二塁へ送球、ソロムコは二、三塁間に挟まれ、ボールは西園寺昭夫三塁手に転送、ソロムコは勢いよく突進したものの、ベースの手前でタッチされた。

 完全にアウトだったが、ソロムコに体当たりされた格好の西園寺はグラブからボールがこぼれていた。しかし、ソロムコはボールがファウルグラウンドに転々としていることに気がつかず、三塁ベースを踏まぬままベンチへ戻ろうとしていた。
 その時三塁ベースコーチの三宅宅三が「マイク、バックだ!バック!」と叫んだ。叫んだだけならばいい、三宅コーチはソロムコの体を押すようにして三塁ベースに触塁させたように見えた。
 1死無走者が無死三塁に…。しかも、それが“ルール違反”によるものでは、東映ベンチも黙っていられない。水原茂監督は審判団に激しく抗議した。野球規則7・09の(i)には「三塁または一塁のベースコーチが、走者に触れるか、または支えるかして、走者の三塁または一塁への帰塁、あるいはそれらの離塁を肉体的に援助したと審判が認めた場合」、妨害が宣告されるとあり、水原監督の抗議は当然だった。
 ところが、この試合を左右しかねないプレーを井野川主審も宮下三塁塁審も「三宅コーチが押し戻したかどうかはっきりしない、と言っている」(水原監督)と非常に心もとない根拠でセーフの判定を下していた。それでは東映側も納得いかない。16分にわたる抗議の末、水原監督は連盟に提訴することを条件に引き下がったが、何とも後味の悪い判定だった。
 結局、6回は得点は入らず、事なきを得た形となったが、皮肉にも試合を決めたのは問題のソロムコだった。9回、満塁からこの日2本目の二塁打を放ち、決勝の2点をたたき出した。東映としては踏んだり蹴ったりの土曜日のナイトゲームになってしまった。
 ソロムコはこの年、阪神から若生智男投手とのトレードで東京に移籍した来日5年目の選手。元は大リーグピッツバーグ・パイレーツ傘下の3A所属していた。
 兵役で米軍座間基地で働いていたところを元阪神監督で、同基地のゴルフ場支配人となっていた日系人カイザー・田中にスカウトされ、除隊後タイガースのテストを受けて合格。日系人以外では球団史上初の米国籍の選手となった。1年目に4試合連続本塁打など派手な活躍をしたこともあったが、もともとは中距離ヒッター。球宴にも2度出場した。
 東京への移籍は、東京の4番・山内和弘外野手と阪神のエース・小山正明投手の「世紀のトレード」のあおりを食ったもの。両軍とも投打の中心を交換したため、それを補うためのトレードだった。
 東京には2年在籍したが、目の角膜炎を患い視力が著しく低下したためやむなく引退。しかし、米国へは帰らず日本人と結婚したソロムコは輸入調理器具の会社を興し、実業家として日本で野球選手以上に成功を収めた。愛娘が水着モデルとしてマスコミに脚光を浴びた時もあるなど、その名前は時折世の中に出て、往年の野球ファンを懐かしがらせた。

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