日めくりプロ野球 4月

【4月14日】1985年(昭60) 男泣きした村田兆治 クールな主砲は熱い思いで応えた

[ 2009年4月1日 06:00 ]

155球を投げきり完投勝利を挙げた村田。滝に打たれたり、宗教関係の本を読みあさったりとすがれるものは何でも試すほど精神的に追い詰められた3年間だった
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 【ロッテ6-2西武】力のない二塁ゴロを佐藤健一二塁手がさばき、山本功児一塁手が大事そうにファーストミットに収めた。勝っても表情を崩さない“昭和生まれの明治男”といわれるほどの頑固者が、微笑みながら右腕を上げて小さくガッツポーズした。
 日曜日の川崎球場。右ひじを痛めてから3年、ロッテ・村田兆治投手が実に1073日ぶりに勝利投手になった復活の瞬間だった。女房役の袴田英利捕手が村田以上の笑顔で抱きついてくる。普段は無愛想な落合博満三塁手が、自分のことでも見せないようなくしゃくしゃの笑顔で走り寄って来たのが印象的だった。

 最後に稲尾和久監督とガッチリ握手した村田。「復活した投手はいない」と当時いわれた右ひじにメスを入れ、苦しい長いリハビリを経てきたことが走馬灯のように頭の中をよぎった。するとヒーローインタビューに呼ばれているのを振り切り、村田はタオルを握りしめて一目散にトイレに駆け込んでしまった。絶対人前では涙を見せない“明治男”も、目から熱いものがあふれ出して止まらなくなった。それをぬぐうためにとっさに向かったトイレ。そうでもしないとインタビューで号泣してしまいそうだった。
 18年目のベテランが新人投手のように無我夢中で投げた7安打8三振、155球の完投劇。「信じられない。投げられたのが自分であるのかどうかも分からない。誰に何を投げたのかなんて全然覚えていない。この1勝のために、野球生命のすべてをかけてきた3年間だった。そう思うと…」。一度ふいたはずの涙がまたにじんできた。
 右ひじを執刀した、フランク・ジョーブ博士が指定した球数制限は100球。医師の言う通り、規定投球数を過ぎると「腕がシビれていた」(村田)。「完封を意識した」8回、2点を奪われた後、稲尾監督がマウンドに歩み寄った。交代させるつもりは「同点にされるまでなかった」が、村田の形相は険しかった。「何しに来た。俺に最後まで投げさせろ、と言う気持ちだった」。
 その鬼気迫る表情を試合中横からずっと見ていたのが落合だった。「あれだけ村田さんがすごい投球をしているのに、打たないわけにはいかんよ」。クールに話した落合だったが、6回に右翼席へ3号2点本塁打を放つと、2点を失ったその裏には失点を取り返す4号2点弾を左翼席に打ち込んだ。村田の人生をかけた復活のマウンドを目の当たりにして、その生きざまに感銘して打った2本塁打。口にこそ出さないが、狙って打ったアーチだった。イメージと違い、背番号6は実に熱い男だった。
 手渡されたウイニングボールを一度見つめて、何かを断ち切るように村田はスタンドに白球を投げ入れた。記念のボール、この1球のために耐えてきた日々にもかかわらず、村田はそれに執着しなかった。「復活のための戦いはきょうで終わった。きょうはみんなに支えられて勝てた。次からが本当の勝負。チームの勝利のために投げる」。先の見えないつらい毎日に完投勝利という形でピリオドを打った。新しい出発に“過去の思い出”のボールは必要ない。村田は次のステップへと踏み出すためにボールを手放したのだった。
 日曜日に勝利投手になった村田は、以後“サンデー兆治”として日曜日ごとに登板。大リーグの名投手、元ドジャースのコーファックスが日曜日ごとに登板し“サンデー・コーファックス”と呼ばれたことにちなんだものだが、5月26日まで日曜日7連勝した村田は、この年17勝5敗を記録。見事カムバック賞を受賞した。
 

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