日めくりプロ野球 4月

【4月13日】1955年(昭30) 開幕12連敗…チームを救ったのは志願登板の往年の大エース

[ 2009年4月1日 06:00 ]

巨人時代のスタルヒン。数奇な生い立ちや戦前、さまざまな差別を受けたことなどその人生は波乱に富んだものだった。通算303勝176敗。57年に交通事故死
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 【トンボ2-0大映】前日3イニングのリリーフ登板をした右腕が、ダブルヘッダー第2試合に「オレを使ってくれ」と志願の先発を申し出たのは、試合開始20分前だった。
 開幕以来ついに12連敗。まったく光明の見えない球団結成2年目の高橋改め「トンボユニオンズ」のビクトル・スタルヒン投手が、連敗脱出をかけてマウンドに上がった。戦前の巨人でシーズン42勝(1939年)、翌40年には38勝で防御率0・97という、今では考えられない数字を残した大投手も既に38歳。酒と美食で体は重たくなり、捕手に投げるのもやっとというありさまのロートルの目が久しぶりに燃えていた。

 平日水曜日の駒沢球場の観客は公式記録によるとわずか500人。実数ではないため、恐らく実際の観衆は200人いたかどうかという線でおおむね間違いないだろう。しかし、スタルヒンにとって誰が見ていようがいまいが関係なかった。「もうこの先1つも勝てないんじゃないか」というおびえた目つきのトンボナインに通算297勝を挙げた男が、勝利に対する執念を身をもって教える現役19年の集大成のマウンドとなった。
 「真っ直ぐは158キロは出ていた」と巨人の名二塁手だった千葉茂は、全盛期のスタルヒンのストレートについて“実感”で証言していたが、もうそんな剛速球は直球はもう投げられなかった。生命線はスライダーにシンカー、それに縦のカーブ、いわゆるドロップ。ストレートを見せ球にして、変化球で勝負する。味方の守備にかなりの不安はあったが、失策の危険性にも動じずスタルヒンは大映(現ロッテ)相手に初回からあらゆる球種を投じた。
 孤軍奮闘するスタルヒンの姿に打線が呼応したのは4回。1死二塁から3番ドン・ブッサン左翼手が左前適時打を放ち、先制点を挙げた。この1点を死守するスタルヒン。先発しても簡単にKOされる最近のスタルヒンの姿はそこにはなく、「1点あれば十分」と豪語して相手チームから嫌がられたいた往年の“スタ公”の内角をえぐる強気な投球がよみがえった。
 9回に味方が1点を加えると、最終回はストレートで押した。結局、散発5安打7三振1四球、三塁を踏ませない好投で完封勝利を挙げ、約束どおり13連敗を阻止。浜崎真二監督に初勝利をプレゼントした。
 「コンジョウ(根性)で頑張ったネ」と試合後にウインクして見せたスタルヒン。通算298勝目は83度目の完封勝利でもあった。このシャットアウトこそ、この年通算303勝で引退したスタルヒンの生涯最後の完封勝利だった。
 通算400勝の金田正一投手の完封数は82。日本球界であらゆる部門でトップの金田だが、完封数だけはスタルヒンが意地とプライドをかけて投げた最後の完ぺきなピッチングによってわずか1試合及ばなかった。
 鉛筆でおなじみのトンボはこの1年でスポンサーを降り、球団は1年で高橋に戻った。その高橋も4年目のキャンプ中の2月末に大映に吸収合併され、解散した。
 球団は消滅したが、開幕からの最多連敗記録は79年西武とともに球史に刻まれている。不名誉な記録だが、それを最後の力を振り絞って阻止したスタルヒンの魂と投球は、長く語り継がなければならない。

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