日めくりプロ野球 4月

【4月8日】1987年(昭62) 開幕2日前 広島“内乱”オーナー代行激怒「出なくていい」

[ 2009年4月1日 06:00 ]

もともとは投手として東京・城西高で甲子園出場をしている高橋。プロ入り後野手に転向し、2年目に俊足のスイッチヒッターとして売り出した
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 午後2時すぎ、広島市民球場の一塁側ベンチ前。練習を終えた背番号2が練習を視察に来ていた球団フロント幹部の一人、上土井球団部長にかみついた。「この時期にどうしてやらなくちゃいけないんですか?口には出さないけど、選手みんながそう思ってますよ」。
 正面から“抗議”した広島・高橋慶彦内野手に幹部たちは怪訝(けげん)な表情を浮かべた。この日の夜は地元のテレビ局主催のファン参加による「カープ激励の夕べ」が予定されていた。高橋は10日の大洋との地元開幕戦がナイターになるため、夜間も練習したいと前から話していたという経緯がここまでにあった。

 「慶彦、今さら何を言っているんだ。一選手がいう問題じゃない」と近くにいた野崎代表ははねつけたが、高橋も「ちょっとは僕らのことを考えてくださいよ。もう開幕なんですよ」とひるまない。球場のいたるところにいた報道陣も不穏な空気を察して集まってきた中、そのひと言が飛び出した。
 「そんなに嫌なら出なくていい!」報道陣と談笑していた、松田元オーナー代行が血相を変えて声を荒げた。
 プイっと横を向いて、ベンチ裏に行ってしまった高橋。一度グラウンドに戻ってきた高橋は興奮しながら、阿南準郎監督に「ファームに落として下さい」と一方的に言うと、今度はロッカールームに行き、荷物をまとめ、さらにはロッカーのネームプレートまで外した。追いかける番記者に「このチームは勝つつもりがあるのか、優勝したいのか」と強い口調で言い残し球場を出て行った。
 前年の86年。広島は2年ぶりにリーグ制覇、西武との日本シリーズも3連勝し、日本一はほぼ手中にあったが、1引き分けをはさみ4連敗。過去3度の日本一を味わった高橋にしてみればこれ以上の屈辱はなかった。しかも、カープを引っ張ってきた山本浩二外野手が引退。連続試合出場記録を続けている衣笠祥雄内野手もユニホームを脱ぐ日が近づいていた。「チームの先頭に立って、勝つために徹底した1年を送る」。そう宣言してキャンプインした高橋にとって、開幕前の貴重な時間は野球に集中したいというのが、偽らざる率直な気持ちだった。
 「激励の夕べ」には姿を見せず、愛車でどこかへ“雲隠れ”してしまった高橋。球団は造反行為を重く見て、2週間の謹慎を命じ、1軍登録を抹消。2軍戦の出場も認めず、球団施設での練習さえ許さなかった。3年連続全試合出場が絶望となった広島一の人気選手への厳しい処分にファンからの抗議電話が殺到し、練習だけは施設利用を許可したが、その間にもトレードだ、最悪引退だなどさまざまな憶測が流れた。
 4月26日、広島でのヤクルト2回戦で「1番・遊撃」で復帰。いきなり右前打を放つなど2安打。慶彦ここにあり、といったところをファンにアピールし、終わってみれば打率2割8分1厘を残し、盗塁も28個を記録した。
 しかし、以前から歯に衣着せぬ物言いで誤解を招くこともあった高橋は、この造反がきっかけでトレード要員に名前が挙がるオフが続くようになった。特に恩師である古葉竹識監督が指揮を執る大洋への移籍が取りざたされたが、打率が2割6分7厘に落ち、自慢の足も衰え盗塁は13個止まりで終わった89年オフ、移籍先はロッテに決まった。127試合に出場していたが、フロントはシーズン中に既に放出を決定していたという。
 ロッテには1年在籍したのみで阪神へ。しかし、広島を出された時点で、高橋の選手としての気持ちは切れてしまったかのように、成績はふるわず、92年に引退。通算1826安打。広島で選手生活が全うできれば、名球会に名を連ねた選手だった気がしてならない。
 

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