日めくりプロ野球 4月

【4月6日】1997年(平9) 「ただいま」…清原も花添えた桑田真澄、683日ぶりの復活勝利

[ 2009年4月1日 06:00 ]

試合開始前、マウンド上で“儀式”を行った桑田。この年10勝をマークし、見事復活をとげた
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 【巨人5-4ヤクルト】4点あったリードが1点差となった。9回、ベンチの背番号18は祈るような気持ちで、1球々々を目で追った。
 ヤクルト・飯田哲也中堅手の力のない打球が、仁志敏久二塁手の前に転がり、仁志からの送球を清原和博一塁手ががっちりミットに収めると、29歳になったばかりの18番は、心からの笑顔をみせたが、その目は潤んでいた。
 右ひじ内側側服副じん帯断裂で1軍マウンドを遠ざかっていた桑田真澄投手が95年5月24日以来、683日ぶりに勝利を挙げた。「人には絶対に涙を見せたくない。何事もなかったようにしていたいんだ」と話していたが、あふれる出す感情を抑えることはできなかった。

 先発で6回を投げ74球、2安打3三振無四球で失点1。ストレートの最速は143キロをマークし、1958年(昭33)以来、対巨人の開幕3連勝を狙ったスワローズ・野村克也監督は「さすがは天才投手桑田。きっちり開幕に合わせてきた」と完全に脱帽した完ぺきな内容だった。
 「ただいま。また僕にとっての聖地であるマウンドに戻ってくることができました。これからもよろしくお願いします」。初回、マウンドに上がった桑田は、マウンドにひざをつき、右ひじから先の腕をピッチャーズプレートに添えてそうつぶやいた。右ひじにメスを入れた日から、また“聖地”に戻ることができたら、きちんとあいさつしよう。密かに暖めていた桑田なりの復活への儀式だった。
 長いリハビリ生活だった。最後に勝利を挙げた日に痛めた右ひじの手術、120日ぶりのキャッチボールをしたのは96年2月の寒い日だった。
 夏場にはブルペンで投球練習を開始したものの、ほとんどがジャイアンツ球場の外野の芝生を走る日々。そこだけ芝生がはげて出来上がった“桑田ロード”が、1軍マウンドへ通じる1本の道のように、来る日も来る日も走り続けた。
 「また投げられるのだろうか…」。不安に駆られ、部屋に閉じこもって長時間出てこないこともあった。真夜中独りで山に行き、大木に額をつけて泣いた日のことは、忘れようにも忘れられない記憶として残った。
 そんな日々が走馬灯のように巡りながらの復活への儀式が終わり、投球練習に入ると、表情は闘争本能むき出しの目つきに変わっていた。
 先頭の飯田への初球はインコースの胸元を突く、コースいっぱいのストライク。球速は140キロを計測した。受けた村田真一捕手がマスク越しで微笑んだ。「ケガをする前のボールの勢いや。もう大丈夫」。
 その村田が「やめろっ!」と絶叫したのが3回。1死一塁で9番山本樹投手が送りバントを試みたところ、小飛球が上がった。猛然とダッシュする桑田。村田の頭にあの悪夢がよぎった。2年前、同じような飛球を処理しようとして、右ひじを強打、じん帯を損傷した…。二の舞を恐れ、思わず大声を出した。
 しかし、桑田はすでに復活の余韻に浸ってはいなかった。小飛球に飛びつきダイレクトキャッチを試みた。結局、捕球することはできなかったが、これでハートに火がついた男がいた。
 この年、西武からFA移籍した清原は「桑田がダイビングしたのを見て、なんとか援護せなあかんと思った」。ドラフトでの思い出したくない出来事はもういい。今はPL学園高の同級生であり、同じジャイアンツの一員として、桑田の闘志に応えるため、バットに思いを込めて振った。
 桑田がダイビングした直後の3回裏、その思いが左中間スタンドに突き刺さる巨人移籍第1号本塁打となった。「桑田が復活して自分も巨人で初めてホームランを打った。忘れられない日になった」とヒーローインタビューで話した清原の目も潤んでいた。
 この日、桑田の夫人と母親、姉、弟が東京ドームで復活劇を目に焼き付けた。3年前にドームで観戦し、夫が敗戦投手になったことで球場での観戦をためらっていた夫人にチケットを用意したのは、他ならぬ清原であった。

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