日めくりプロ野球 4月

【4月4日】1978年(昭53) こけら落としの横浜スタジアム “バッカス”斉藤明雄お見事!

[ 2009年4月1日 06:00 ]

後に“ヒゲのストッパー”として名をはせた斉藤だが、ルーキーの時はメガネをかけていた。横浜に移ってからもしばらくはヒゲがなかったが、強気な投球スタイルは変わらなかった
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 【大洋4-1巨人】プロ野球の聖地・後楽園球場で人気アイドルトリオ「キャンディーズ」の解散コンサートが行われた日、明治時代から野球に親しんできた異文化の玄関口・横浜で1つの野球場が新装オープンした。
 太平洋戦敗戦後はゲーリッグ球場と呼ばれ、プロ野球初のナイターが行われた横浜平和球場は、横浜スタジアムとして再生。前年までの本拠地川崎球場をロッテに譲った大洋が「横浜大洋」となり、この日巨人を迎えての公式戦第1戦“こけら落とし”の試合を行った。

48年8月18日 “事件”続出プロ野球初のナイターは横浜で開催

 大洋にとって記念すべき新フランチャイズ第1戦の先発は2年目の斉藤明雄(後に明夫)投手。巨人キラーのエース、平松政次投手というのが大方の予想だったが、別当薫監督は「新しい球場の誕生という意味で若い力とその度胸の良さにかけた」。その斉藤も77年の新人王。8勝(9敗)のうち、1完封を含む4勝が対ジャイアンツの“新Gキラー”だった。
 小雨がそぼ降る中で、初回に横浜・本牧出身、巨人の1番柴田勲中堅手にいきなり二塁打を浴び、内野ゴロの間に先制点を許したが、3回に3者連続三振を奪うとエンジン全開。縦横2種類のカーブを駆使し、巨人打線を翻弄。その間に打線は毎回の13安打で、この2年間で2勝14敗と大の苦手の小林繁投手を攻略。3時間ちょうどで終わった試合は、斉藤が被安打6奪三振8で完投し、大洋が鮮やかな逆転勝ちを収めた。
 密かに“ハマスタの開幕投手”を狙っていた。ニックネームは“バッカス(酒の神)”。ルーキーの時から、酒の強さは半端ではなく、ウイスキーのボトルも1人で楽々空けてしまい、それでもまだ飲めるという酒豪ぶりで先輩選手も驚くほどだったが、キャンプ中から禁酒を実行した。「新人王の次の年に2年目のジンクスということもある。しっかり節制して、練習に打ち込まなければ」と周囲には話していたが、実は4・4のことが頭の片隅にあった。
 決して調子は良くなかったが「球威よりも思い切り攻める気持ちが大切だということをよく分かった」と斉藤。その2日前の野球人生初の悔しい体験も攻めの投球をさせた。4月2日、ナゴヤ球場での中日2回戦。リリーフに立った、斉藤は代打・井上弘昭外野手にサヨナラ本塁打を打たれ敗戦投手となった。サヨナラ弾を食らったのは初めて。「向かっていく気持ちが足りなかった」と反省した背番号17にとって、本拠地オープニングゲームは何が何でも負けられない試合だった。
 “古い、狭い、汚い”といわれた川崎から“新しい、広い、きれい”の横浜に移った新生ホエールズは2年連続最下位がウソだったように78年はペナントレースを盛り上げた。
 ヤクルト、巨人とともにオールスター前まで首位争いを展開。日本一明るい照明塔、吸水性に優れた人工芝、移動式のスタンド、電光掲示板横のスクリーンでプレー再現…。今では当たり前でも当時としては画期的な設備が整い、気分も一新したことで大型補強したわけでもなかったチームが走った。
 最終的には終盤に驚異的な追い上げをみせた広島に抜かれ、4位に終わったが77年の借金17から貯金7を記録。大洋にとって3位になった71年以来7年ぶりの勝ち越しだった。斉藤自身この年47試合に登板し、16勝(15敗8セーブ)を挙げ、最多勝を獲得した野村収投手(大洋)の17勝に匹敵する活躍。完投12、投球回数241回、奪三振162はいずれもリーグ最多というタフネスぶりだった。
 09年は広島で新球場が誕生する。気分が新たになったチームは勢いもある。大洋が見違えるような戦いぶりをしたように、カープが久しぶりに大暴れするシーズンになるかもしれない。

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