日めくりプロ野球 4月

【4月3日】2008年(平20) おまけまで付いた!山崎武司のメモリアル弾で楽天初の快挙

[ 2009年4月1日 06:00 ]

通算300号を放ち、試合終了後上機嫌でお立ち台に立った山崎
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 【楽天9-1ロッテ】3年前はまったく頭になかった数字だった。楽天の4番山崎武司内野手はロッテ3回戦(Kスタ宮城)の3回、ロッテ・久保康友投手から通算300号となるシーズン2号ソロ本塁打を左翼席に打ち込んだ。
 39歳4カ月でのメモリアルアーチ。阪神・広沢克実外野手の39歳5カ月に次ぐ“高齢到達記録”で、中日時代の91年5月9日、横浜での大洋5回戦で左腕の田辺学投手から放っ手以来、6127日が経っていた。

 「いやー、ドキドキだったよ。でも日ごろの行いがいいからなオレは」とおどけてみせた山崎。というのも5回にゲームが成立する前に、突然のにわか雨で試合は中断。ベンチで待つ山崎は子供のように落ち着きがなく、何度も空を見上げた。
 雨が上がって試合が再開されると、5回には“おまけ”まで飛び出した。今度は小宮山悟投手から左翼席に豪快な3点弾。“記念号”に花を添える一発で試合を決めた楽天はこれで7連勝の球団記録を更新。4連敗スタートとつまずいたはずが、開幕11試合目ながら球団4年目にして初の単独首位に立った。
 「オリックスを自由契約になった時のことを思うと頭になかった数字だね」。あらためて300発の重みを感じた。
 04年4月28日の西武5回戦は、山崎が生まれ育ち、プロ人生の16年間を過ごしてきた名古屋での試合だった。前日も2安打を放っていた山崎は当然スタメンと思い、家族や関係者を招待していたが、スコアボードにその名前はなかった。山崎が座っていたDHには、谷佳知外野手が入っていた。
 首脳陣からは「チーム事情で谷をDHで使ってみたい」と説明されたが、ここまで打率3割9分と調子がいい山崎は納得ができなかった。山崎はそのまま“試合放棄”をして帰宅。翌日2軍行きを命じられた。
 4本塁打に終わった04年オフ。1度は引退を決意したが、愛工大名電高の先輩である工藤公康投手らの説得で現役を続行。新球団楽天へ移籍した。翌年、野村克也監督と出会い「配球を読む」ことを教わり、これまでの来た球を打つという極めてシンプルなバッティングスタイルから180度転換。07年に43本塁打、108打点で二冠王を獲得した。中日時代の96年にもホームランキングに輝いているが、11年もプランクがありながら、再度タイトル奪取した選手は皆無という快挙を成し遂げた。
 08年7月には史上12人目の2球団で100本塁打以上を達成、9月にはパ・リーグの右打者としては監督である野村が南海時代の75年に放って以来33年ぶりの40歳での20号本塁打をマーク。次々と“勲章”が増えた1年だった。
 09年は23年目の41歳。通算1500本安打まで63本、350号本塁打まで26本、1000打点まで63打点とまた勲章が増えそうだ。しかし一番欲しい勲章は「若い頃には考えたことがなかった」というフォア・ザ・チームの気持ちで、優勝を勝ち取り野村監督を男にすることに違いない。

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