日めくりプロ野球 4月

【4月29日】1976年(昭51) 初安打満塁アーチが単打に… 幻の本塁打に泣いた男  

[ 2008年4月19日 06:00 ]

西武時代の行沢。幻の本塁打で1本損をしたものの、通算では35本塁打。レギュラーだった84年には9本塁打を放った
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 【近鉄13-6日本ハム】天国と地獄をわずか数秒で経験した、プロ野球選手がいる。日本ハム・行沢久隆内野手のプロ入り3打席目は球史に残る珍プレーとなった。
 祝日のこの日、後楽園球場での日本ハム-近鉄3回戦の8回裏、10点差を追うファイターズは一死満塁で途中出場の新人遊撃手、行沢が打席に入った。近鉄の3番手、左腕の高木孝治投手の2球目、内角低めのスライダーをすくい上げるように打った行沢の打球は左翼への大飛球。島本講平左翼手がフェンスにへばりつきグラブを構えた。「取らないでくれ、取らないでくれ」、と心の中で叫ぶ行沢の願いが通じたかのように、打球は左翼席の最前列ではね上がった。
 プロ3打席目にして初安打がなんと満塁本塁打、と大喜びしたのも束の間、行沢の視界に右腕を高く上げて「アウト!」と宣告する前川芳男二塁塁審が入った。我に返った行沢が二塁ベース上で頭を抱えた。「しまった!一塁走者を追い越してしまった!」。
 高々と舞い上がった打球を見ながら全力疾走した行沢だが、一塁走者の服部敏和外野手は捕られるか、ホームランかの際どい打球だったため、一、二塁間のハーフウエーにいた。これを行沢が勢いあまって追い越してしまったのだ。
 日本人が嫌う背番号4を付け「背番号なんてただの整理番号」と言い切る、クールな新人選手も「打球を見ていたので服部さんには気が付きませんでした」と、さすがに夢のグランドスラムが取り消され落ち込むばかり。「二塁ベース近くまで行っていなかった服部が悪い」と断じた大沢啓二監督だが、行沢の救いにはならなかった。
 行沢の“幻のプロ1号本塁打”は、記録上はシングルヒットで二塁でアウトになったことになり打点は3。その前日の4月28日、中大の同期で大洋にドラフト1位入団した田村政雄投手が巨人相手にプロ入り初勝利を挙げたことで発奮しての本塁打だったが、不運というほかない経験をした行沢は、この年ついに本塁打0。“初本塁打”は翌77年5月11日、後楽園でのロッテ6回戦まで、1年以上待たなければならなかった。
 79年シーズン中に、76年パ・リーグ首位打者の西武・吉岡悟内野手とトレードで移籍。山崎裕之二塁手が現役最後のシーズンとなった84年には二塁の定位置を確保。その後も辻発彦二塁手の控えとして地味ながらも活躍。プロ入りした時の目標だった1000試合出場を4試合超えて、88年に引退した。
 長らく独身生活を送っていた行沢は球界きっての料理の達人。プロでのキャリアが10年を越えたころ、ベテランの意味について行沢らしい自論を口にしている。「カレーライスって、何日も煮込むとさりげない味が出るでしょ。プロだって同じ。何年もやっていると、さりげなくいい味が出てくる」。含蓄のある言葉である。

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