日めくりプロ野球 4月

【4月24日】1981年(昭56) ユニホーム忘れてもウーやんバックスクリーン直撃弾

[ 2008年4月19日 06:00 ]

背番号77で本塁打を放った瞬間の中日・宇野。珍プレー伝説の数では他の追随を許さない
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 【中日11-5大洋】おでこでボールをヘディングしたり、相手野手が飛球を落とすと、嬉しくなって全力疾走し前の走者を追い越したりと、珍プレーに事欠かない中日の宇野勝内野手。この日もまた一つの伝説が球歴に刻まれた。
 横浜スタジアムでの大洋-中日1回戦。7番・遊撃手でスタメンに名を連ねた宇野は慌てていた。「ユニホームがない!」。
 荷物をすべてひっくり返して探し回った。それでも見つからない。どこへ置いてきたかも、横浜に持参したかも覚えていない。あきれる近藤貞雄監督、黒江透修コーチ、ドラゴンズナインの冷たい視線を浴びながら、宇野はロッカールーム中を物色したがやはり背番号7のユニホームは見当たらなかった。着るはずだったユニホームは名古屋の合宿所の自室に置いたままだった。
 すでにスタメンは発表済みだ。困った中日は大洋側に了承を取り、宇野に別のユニホームを着用させて試合に出場させた。宇野が借りたのは飯田スコアラーの背番号77のユニホーム。体型もそう変わらなかったのは奇跡に近かった。
 1回裏、ショートの守備に入った宇野の背番号を見て、三塁側、レフト側の中日応援席がざわめいた。「77番のイイダって、誰だ?」「あれは宇野やないか。どうして7番じゃないんだ」…。
 「実はユニホームを忘れてきまして…」と観客に説明するわけにもいかず、宇野は恥ずかしさをこらえながらプレーするしかなかった。
 普通の選手なら、落ち着かずとても試合に集中できる状況ではない。しかし、そこはウーやん。見せ場は4回にやってきた。
 先頭打者の宇野は大洋先発・野村収投手のストレートをたたき、センターバックスクリーン右への特大4号ソロ本塁打を放った。笑顔でダイヤモンドを一周する77番に、近藤監督も思わず大笑い。「練習のときから恥ずかしかったけど、これで吹っ飛んだ。また77番で試合に出ようかな」。ナインの手荒い祝福を受けた宇野の談話はその天真爛漫な性格をそのままだった。
 宇野の一撃で火が付いたドラゴンズ打線は大洋の繰り出す6投手に21安打を浴びせ大勝。16試合消化時点で早くも貯金10となり、2位巨人に3ゲーム差をつけて首位をキープした。
 宇野の忘れ物はこの時が初めてではない。千葉・銚子商高時代は野球用具一式を忘れて球場入り。試合そのものを忘れて野球部の部室で寝ていたこともあったという。80年のキャンプインにはスパイクを忘れて、首脳陣に大目玉を食らったこともあった。
 千葉の農家の裕福な家庭で育ったこともあって、性格はいたってマイペース。それでもわがまま気ままに育ったわけではなく、気持ちはとても優しい。83年、8月の月間MVPに選ばれた宇野は副賞の米1年分を親交のあった児童養護施設に寄付した。
 「喜びのおすそ分けっていうのもおかしいですが、子どもたちがおいしいお米を食べて喜んでくれるなら」。宇野が37本塁打で掛布雅之内野手(阪神)とともにホームランキングになったのは、その翌年の84年だった。

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