日めくりプロ野球 4月

【4月26日】2007年(平19) プロ野球初!親子2代で公式戦勝利を挙げた、巨人・会田

[ 2008年4月13日 06:00 ]

球界初の親子で勝利投手となった巨人・会田。父親の通算29勝まであと26勝だ
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 【巨人5-3横浜】親子とも投手でプロ野球界に入ったのは08年現在、6組。しかし、親子とも1軍の公式戦で登板し、さらに白星までマークしたのはわずか1組だけだ。
 東京ドームの巨人-横浜6回戦。8回裏、1点を追う巨人は小笠原道大三塁手の左前打を皮切りに横浜2番手の那須野巧投手から4連打で3点を奪い逆転。最後は豊田清投手が締めて、中日と入れ替わり巨人は首位に浮上した。
 この試合、8回に巨人のマウンドに立った2年目の会田有志投手は二死満塁のピンチをしのぐと、逆転勝ちでプロ初勝利が転がり込んだ。「1勝できたことはうれしい。これでスタートラインに立てた。父は小さい頃からの目標。ウイニングボールは父にプレゼントします」と、プロ野球史上初の親子で公式戦白星の喜びを口にした。
 05年の大学・社会人ドラフト7巡目で巨人入りした中大出身の有志投手の父、会田照夫投手は70年(昭45)のドラフト8位でノンプロの三協精機(東洋大出身)からヤクルトに入団したアンダーハンド。71年のルーキーイヤーに6勝するなど、10年の現役生活で通算29勝(45敗)を挙げた。
 2年目からサイドハンドで投げていた照夫投手はしばらく勝ち星から見放されていたが、荒川博監督の休養、辞任を経て76年5月から指揮を執った、広岡達朗監督がフォームを「アンダースローに戻せ」と指令。すると、球のキレを取り戻し、マスターしきれていなかったシンカーを完璧に習得。76年8月1日、神宮球場での大洋17回戦に完投でシーズン4勝目を挙げると、同月4勝1敗で月間MVPに輝いた。結局、この年初の10勝をマーク。77年も9勝でローテーションの一角を占めるヤクルトの主戦投手となった。
 ヤクルトが球団創設29年目で初優勝を果たした78年。会田は3勝のみに終わり、8月に右かかとの手術で戦線を離脱してしまった。ヤクルト64勝のうちたった3勝だが、「会田が先発でKOされると、不思議と逆転勝ちする」というジンクスがあり、実際の白星以上にツキを運んだ投手だった。
 80年(昭55年)、足の故障が十分完治しないまま引退。対巨人は通算3勝9敗ながら、ファンの間では「巨人戦に好投する会田」というイメージが強かった。会田は引退の際「王さんのいない巨人戦で投げても…」とポツリ。同じ年に引退した王貞治には5本の本塁打を献上している。
 息子も大学時代はサイドハンドだったが、2年目になり尾花高夫投手コーチらの勧めもあり、アンダーハンドに転向。父や同じタイプのロッテ・渡辺俊介投手のピッチングを研究したことで、ストレートの球速は落ちたものの、カーブやシンカーの精度が増し、打者に狙い球を絞らせない投球ができるようになった。これが1年目はファームですら未勝利の投手が2年目に開幕1軍入りし、34試合で3勝(2敗)を挙げる成績につながった。
 巨人では入れ替わりとなったが、横浜・工藤公康投手とシーズンオフに合同トレーニングをするなど、いわゆる“工藤塾”の門下生。野球に取り組む姿勢はジャイアンツの若手の中でも光る存在だ。
 引退後、実家の材木商を継いだ、父の通算勝利数にあと26勝。08年は2軍スタートとなったが、球界では希少価値となった下手投げ投手の活躍が期待される。

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