日めくりプロ野球 4月

【4月20日】1980年(昭55) “サモアの怪人”ソレイタ大爆発、1試合4発10打点

[ 2008年4月13日 06:00 ]

豪快なバッティングでファンを沸かせたソレイタ。野球に取り組む姿勢もまじめで、早出特打ちをする姿が後楽園ではよく見られた
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 【日本ハム12-9南海】9試合で打率1割5分2厘。一応2本塁打は打っていたが「これで現役大リーガー?」と首脳陣も頭を抱えていた矢先だった。
 日本ハムの新外国人選手、トニー・ソレイタ一塁手は、大阪球場での南海3回戦(ダブルヘッダー第2試合)の1回、佐々木宏一郎投手から3号3点本塁打を左中間に放つと、3回にも同投手から中堅へ特大ソロ、5回には三浦政基投手からまた左中間に3点弾、そして8回藤田学投手のストレートを右翼スタンドにライナーで入る6号本塁打をかっ飛ばした。南海は日本ハムの3人の投手から5人で6発の本塁打を放ちながら、1人で4本のソレイタの4発で負けた。
 6回に死球があったものの、4打数連続本塁打はパ・リーグ新記録。1試合での4打数連続は巨人・王貞治一塁手が64年に記録して以来、16年ぶりの日本プロ野球界タイ記録。打点10も日本記録の11に迫る立派なものだった。
 「打てないポンコツ外人」の汚名も返上。右に左に真ん中にしめて飛距離は450メートルのホームランショーを演じたことで、晴天の日曜日を境に“サモアの怪人”と呼ばれるようになった。
 「1試合3本はメジャーでも打ったことがあるが、4本は初めて。今まで沈む球を強引に引っ張りすぎて失敗していた。センター方向に打ち返すようにしたんだ」と得意げなソレイタ。アドバイスをくれたのは、メジャー時代からの友人、近鉄のチャーリー・マニエル外野手だった。
 本塁打王を獲得するなど、日本で成功を収めているマニエルは15日に後楽園でソレイタと顔を合わせたときに「無理に引っ張るな。来た球を素直に打ち返せ。オマエのパワーならすぐに塀の向こうだ」と助言。日本で覚えたパチンコでもこの南海戦の前に大勝していたこともあって「きょうあたり何かいいことありそうだ」と本人には予感があったという。
 翌21日、南海4回戦では杉田久雄投手の前に第1打席は四球。「まともに勝負してこない投手じゃ打ちようがない」と新記録を狙う怪人はイライラ。2打席目、カウント2-3からボール球に手を出し三振。新記録はならなかった。
 「また打てばいいさ」と陽気に振舞っていた怪人だが、その言葉は年内に現実のものとなった。日本ハムが後期優勝に向かって一進一退の戦いを続けていた9月4日、日生球場での近鉄後期11回戦の9回に柳田豊投手から32号ソロを放つと、翌5日には西武球場での西武後期7回戦で第1打席から3連発。2日がかりの4打席連続本塁打でシーズン2回の日本新記録を樹立した。
 5連発が期待された9回の打席は10打数無安打と大の苦手だった左腕永射保投手に三振に仕留められたが、右手薬指を亀裂骨折していながら「優勝するために」と強行出場したソレイタの4打点がものを言い6-5で西武を倒した日本ハムは首位を奪回。10月まで優勝争いがもつれるパ・リーグ史上に残る激戦ペナンとレースの立役者となった。
 ヤンキース、ブルージェイズなど7年間のメジャー生活では525試合に出場し、計50本塁打。タイガース時代に170メートルの本塁打を放ったことが自慢だった。
 南太平洋に浮かぶサモア諸島から初の大リーガーは、実は日本ハムにテスト入団だった。79年12月、東京・六本木の日本ハム球団事務所に姿を見せた胸囲120センチの巨漢は多摩川グラウンドで大沢啓二監督らの見守る中で実力を披露。真冬にもかかわらず、ブルージェイズのTシャツ1枚で打席に立ち、オーバーフェンスの打球を連発し即合格。四国・鳴門キャンプでは右翼スタンド後方に50万円の費用をかけて高さ8メートル、幅24メートルの防球ネットが用意された。「T・ソレイタ・ネット 目指せホームラン王」の横断幕も貼り付けたのがソレイタの気を良くしたのか、そのネットも軽々超えるアーチを何本もかっ飛ばした。
 すしと刺し身、焼き鳥を愛した怪人は4連発2度を記録した80年、45本塁打も盟友マニエルが48本塁打でタイトルに手が届かなかったが、81年は44本塁打108打点で二冠王。打率3割、勝利打点17の大活躍でチームを東映時代の62年以来、19年ぶりのリーグ優勝に導いた。
 83年、36本塁打を放ちながら36歳という年齢と監督が大沢から植村義信監督に代わったことで解雇。一時、近鉄入りの話もあったが、立ち消えとなり日本を去った。
 ソレイタが久しぶりに話題に上ったのは90年。2月10日、故郷サモアで公務員となり公園・レクリエーション局長を務めていたが、土地取引をめぐるトラブルに巻き込まれ銃で撃たれて死亡した。享年43歳。ソレイタは休止状態にあったサモアのリトルリーグを復活させたが、そのきっかけは日本の野球が底辺から盛んなのを見たことに影響されたからだった。 

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