日めくりプロ野球 4月

【4月19日】1973年(昭48) 兄弟対決に夫婦対決、ロッテ・金田新監督4連敗

[ 2008年4月13日 06:00 ]

東映からロッテに移籍した弟・留広(右)は兄・正一のために力投。74年に16勝を挙げてロッテ優勝に貢献した
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 【日拓2-1ロッテ】コーチスボックスに立ち、足を高く蹴り上げる独特の“ダンス”に「やったるでぇー」のかけ声--。球界の異端児、400勝投手金田正一が監督に就任した73年、ロッテは開幕から注目を集めた。しかし、指揮官の張り切りようとは裏腹にオリオンズは開幕3連敗。この日も東映からオーナー会社が変わった日拓に1点リードをされ、8回を迎えた。
 「さあ、これからや!」とゲキを飛ばす金田監督の後ろから、日拓・田宮謙二郎監督が歩み寄った。三塁側ベンチを出た金田に田宮は言った。
 「カネやん、悪いけどトメ使うよ」「えっ、本当に?投げさせるの?」。
 金田の顔が急に曇った。マウンドには同じ背番号34のスリークォーター投手がウォーミングアップをしていた。トメこと、金田留広投手は金田監督の実弟。国鉄(現ヤクルト)に入団した時、まだ3歳だった弟が兄にとって監督就任初勝利をかけて逆転しようと意気込んでいる試合にストッパーとして立ちはだかった。
 首を横に振り「参ったなあ。やりずらくてしょうがない」と金田監督は、ベンチの中を行ったり来たりして落ち着かない様子。それでもサービス精神は忘れていない。田宮監督が弟をぶつけたのなら、こっちは“元妻”を出してやる、と代打を送り込んだ。9番・成田文男投手のピンチヒッターは榊親一捕手。留広投手とは社会人・日通浦和時代にバッテリーを組んでいた、いわば“元夫婦”だった。
 投げにくそうな様子の留広投手の初球をたたいた榊の打球は左翼線に落ちたが、守備に難点のあった張本勲左翼手が、“珍しく”好返球を投げニ塁タッチアウト。風邪のため、2回からコーチスボックスを外れ、ベンチで指揮を執っていた金田は地団太を踏んで悔しがった。
 留広投手は結局、2回を2安打無失点に抑えて見事な火消し。金田ロッテはこれで4連敗となった。
 田宮監督に笑顔で迎えられた留広投手は複雑な表情。「兄にも勝ってもらいたいし、といって点を取られたら、お客さんに何と言われるかわからない。ロッテ戦はこれから投げたくない」とぽつり。69年7月19日、東京スタジアムでのオールスター第1戦の6回、留広投手が登板した際、当時巨人の投手だった正一は川上哲治監督の計らいで代打として登場。兄弟対決はセカンドフライに終わり、兄が弟に花を持たせたこともあった。プロ入り後も兄の自宅に住み正一が親代わりだった。プロのイロハを教わった尊敬する“師匠”を打ちのめしたことに心苦しさを感じられずにはいられなかった。
 「ロッテ戦はこれから投げたくない」という発言も金田兄弟の結びつきを考えれば仕方がないと周囲は寛大だったが、それが何回も続くとプロとしての自覚を疑われてしまう。 5月16日、川崎球場でのロッテ-日拓5回戦、留広投手は7回まで被安打5も2点を奪われ敗戦投手になった。「もうロッテに投げるのはイヤだ。コーチに申し出てローテーションから外してもらう。できればセ・リーグにでもトレードに出してもらいたい。ウチの場合は普通の兄弟じゃないんだ。食費も学費ももらって大学まで進ませてもらった。兄じゃなく親なんだ」。試合終了後に一気にまくし立てたこの言葉が、大きな波紋を呼んだ。
 「前年に20勝して最多勝のタイトルを取ったフライヤーズのエースの選手が言うセリフとしてはあり得ない。軽率」と球団は出場停止処分を検討。留広投手が謝罪したことで戒告処分にとどまったが、これで運命が決まった。
 73年オフ、球団の経営権がわずか1年足らずで日拓から日本ハムに移ると、球団社長になったかつての名将・三原脩は、脱フライヤーズ色を押し進めるため、真っ先に留広投手のトレードを決定。そんなに兄を慕うならと、ロッテに話を持っていき、野村収投手プラス金銭で話がついた。
 兄弟対決が話題になった73年、6勝17敗に終わった留広投手は精神的な重圧がなくなり大活躍。移籍1年目の74年は16勝7敗で2度目の最多勝のタイトルを獲得しただけでなく、パ・リーグMVP、ベストナインに選ばれた。
 留広投手の活躍でロッテは4年ぶりにリーグ優勝、そして毎日オリオンズが日本一になった50年(昭25)以来、24年ぶりの日本一に輝いた。ちなみに74年の対日本ハム戦は4勝0敗。古巣相手に「投げるのがイヤだ」とはひと言も言わなかった。

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