日めくりプロ野球 3月

【3月23日】2006年(平18) WBC世界一戦士 帰国直後志願のフル出場で大活躍

[ 2011年3月23日 06:00 ]

 初の国別対抗戦「ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)」で世界一になった日本代表が成田空港に凱旋してから17時間34分後。神宮球場では既に優勝メンバー2人が自軍のユニホームに袖を通し、オープン戦に出場していた。

 WBC準決勝の韓国戦ではスタメンに名を連ねたヤクルト・青木宣親中堅手は1番で、出場機会こそ少なかったが2安打2打点とここ一番のしぶとさをみせ、さらにチームを1つにまとめた宮本慎也遊撃手は2番で、ともに阪神戦に登場。代表選手の大半が休養や軽めのキャッチボール程度で練習を終える中、志願のフル出場にヤクルトファンだけでなく、普段は厳しいヤジを飛ばす阪神ファンからも「お疲れさん。よう、頑張ったで」と惜しみない拍手と声援が送られた。

 飛行機の中で気圧の影響を受け顔面神経痛状態の青木は「時差ボケ。頭がすっきりしないし眠い」と何度も頭を振った。それでも第2打席には左前打。二死後には二盗を決め、8回にも四球で出塁すると二塁へ2つ目の盗塁を決めた。「1ケ月間、自分の調整がほとんどできなかったし、早く感覚を取り戻したい」。05年、オリックス時代のイチロー以来の200本安打(記録は202安打)を放った新人王にして首位打者の背番号23は、体調が万全でなくとても迷わず出場した。

 尊敬するイチローの影響が大きかった。グラウンドはもとより、食事でも移動中でも青木はソフトバンク・川崎宗則内野手とともにイチローのそばから離れようとしなかった。世界のトッププレーヤーの技術だけでなく、日常生活の一挙手一投足から多くのことを吸収しようとしていた。極端な話、いいところはすべて真似てやろうという意気込みだった。

 「いつも全力というのがイチローさんスタイル。練習でも“抜く”ところが一切ない。どの選手よりも早く出てきて、一番練習していた。日本のどの選手よりも凄かった」。だから、帰国して間もないことを理由に目の前にあるゲームに出場しないというのは、イチローから理想の野球選手像を体感した青木にとっては考えられないことだった。

 その青木が「タフですよ。びっくりします」と目を丸くしたのが、35歳の宮本。まだ24歳と若い青木と比べこちらはベテラン。慣れない環境の中での連戦は精神的なこと以上に体力的にこたえた。「しんどいけど、ペナンとレースはすぐだからね」と多くは語らないが、復帰戦で二塁打1本を含む2安打。「眠気が少しさめた」という5回の左中間をやぶるツーベースは、その後連打を呼び逆転の口火となる一撃となった。

 サンディエゴから世界一の熱風を運んできた2人に引っ張られ、セ・リーグ球団とのオープン戦5試合目にして初勝利となった新任の古田敦也監督兼任捕手は「2人が加わって打線が元気になったね」とは目じりを下げ、ホッとした様子だった。

 シーズン前、ヤクルトの下馬評は全く高くなかったが、06年はAクラス3位を確保。2年連続の首位打者となった青木はバッティングに力強さが加わり、本塁打がふたケタの13本に。打点は倍以上の62まで積み重ね、盗塁は41個でタイトルを獲得。入団3年で1億円プレーヤーにまで上り詰めた。(08年3月23日掲載分再録 一部改変)

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