日めくりプロ野球 3月

【3月15日】1990年(平2) 前代未聞!オープン戦で乱闘そして退場

[ 2011年3月15日 06:00 ]

 それは制球力には定評のあるベテランストッパーの投げ損ないから始まった。

 ナゴヤ球場での中日-西武のオープン戦は8回裏、中日の攻撃。3番・DHに入っていた新外国人のベニー・ディステファーノ外野手に対し、西武・鹿取義隆投手の内角高めのストレートは頭部付近へのボールとなった。もんどりうってよけたディステファーノだが、投球は右肩に当たった。

 帽子をとって謝る鹿取に目もくれず、1メートル83、91キロの大男はバットを投げつけた。それを見た西武・大宮龍男捕手はすぐに止めに入ったが、怒り心頭の背番号30は左フックを5連発食らわせた。

 大宮がグラウンドに崩れ落ちるのを待つまでもなく、西武ベンチから選手が血相を変えて飛んでいき、ディステファーノを取り囲み殴るの蹴るの…。こうなると収拾がつかない。中日の選手も入り混じって、あちらこちらでつかみ合い、にらみ合いが始まった。

 中日・星野仙一監督の帽子は吹っ飛ばされるわ、西武の選手のユニホームのボタンは引きちぎられるわ…。一度収まったものの、西武・広野功コーチとディステファーノが言い争いを始めて再燃。ディステファーノの退場が言い渡され、事態が落ち着くまでに4分の時間がかかった。

 ご難の大宮がぼやいた。「インハイのボールを要求しただけで、当てになんていってない。中日の選手は去年までの仲間。オレから手は出せないよ。誰に文句を言えばいいんだ。外国人選手は内角のボールを意識しすぎだよ。インコースを使わなきゃ、おまんまの食い上げなんだからオレたちは」。

 この日、2回に同僚のバンス・ロー二塁手(登録名・バンスロー)が郭泰源投手から受けた死球も厳しい内角攻めからだった。同僚の“災難”を目の当たりにした瞬間、ディステファーノの導火線には既に火がついていたのかもしれない。「狙ってくれば、オレは乱闘も辞さない」。外野手登録ながら、メジャー3人目の左投げの捕手としてパイレーツから中日に入団した28歳は、入団当初から“乱闘宣言”をするなど、頭に血が上りやすい性格でもあった。

 オープン戦の退場はそれまで過去4度あったが、いずれも審判への暴言、侮辱によるもの。選手間の乱闘での退場はまさに前代未聞。退場処分を受けたディステファーノはベンチ裏でも大暴れし、壁を殴り、バケツを蹴ってしばらくは誰も近寄れないありさま。ようやく興奮が冷めたとき、西武の選手に蹴られた右ふくらはぎに初めて痛みを感じた。

 セ・リーグから厳重注意と制裁金10万円を課せられたディステファーノだが、そんなことではひるまなかった。シーズンに入っても“やってくれた”。

 5月24日、ナゴヤでの中日-巨人8回戦の3回裏、二死三塁。打者バンスローの時に、巨人・槙原寛巳投手の初球は顔付近を通過した。マウンドに向かおうとするバンスローを両軍ナインが止めた。

 騒ぎはここで終わったかのように見えたが、友寄正人球審に抗議する星野監督に巨人ベンチからヤジが飛んだ。「何言ってるんだ、星野!こっち来い!」。松原誠打撃コーチの声に、闘将の顔色は変わった。

 「何だーッ。こっち来てみろ」と星野が返すと、もう止まらない。止めに入った巨人・水野雄仁投手は星野にビンタされ、その後ろでは巨人・江藤省三コーチがあのディステファーノに顔面を殴られ、口から流血した。当事者同士ではない第三者だったディステファーノはこれで退場。星野監督の行為もそれに値するはずだが、これは審判団が目撃していなかったということで、お構いなしになるというしっくりこない裁定となった。

 この試合、9回にも中日・鹿島忠投手が危険球退場になった。1試合で2人が別々のケースで退場するのは10年ぶりの珍事だった。2度目の暴力行為にディステファーノは制裁金100万円を課せられた。

 4月7日のナゴヤでの大洋との開幕戦では中山裕章投手から中日の外国人選手としては初めて初打席初本塁打を放ち、幸先のよいスタートを切ったが、その後は変化球にまったくついていけず凡打と三振の山を築いた。加えて、その性格から三振すると大暴れ。ナゴヤ球場のロッカーの鏡を割り、ベンチを破壊。気が向かないとチームの練習時間に来ない、無断外出するとその素行も問題があった。

 7月2日、ディステファーノは星野監督自らファーム行きを告げられると「もう気持ちが盛り上がらない。辞めさせてくれ」と申し出て8月に解雇。56試合で打率2割1分5厘、5本塁打14打点。2年契約のため1年目の年俸6000万円と違約金をちゃっかり持ち帰り、92年アストロズでメジャー復帰した。 (08年3月15日掲載分再録)

続きを表示

バックナンバー

もっと見る