日めくりプロ野球 3月

【3月6日】1983年(昭58) 驚弾!ブーマー“予告”場外アーチ2本を含む3連発

[ 2011年3月6日 06:00 ]

 「さあ、ショータイムが始まるぜ。メイビー、ダウンタウン(たぶん、場外だよ)」。おどけながら打席に入った身長2メートル、体重100キロの巨漢、阪急のブーマー・ウェルズ一塁手は、半分冗談、半分本気で、西武・根本隆投手の投球を待った。

 高知市営球場、5回裏無死一塁。カウント1-1からの3球目のスライダーが真ん中に入った。89センチ、930グラムのバットが間髪いれず反応すると打球はセンターへ一直線に伸びた。

 上空を仰ぐ岡村隆則中堅手は一歩も動かない。いや、動けなかった。一塁走者の蓑田浩二右翼手が「見とれて走るのを忘れた」といえば、打たれた根本は「打球?どこへいったんでしょうねぇ」と信じられない様子。次打者でウェーティングサークルにいた松永浩美三塁手は「次に打つのが恥ずかしい」と、バットを持ってベンチに帰ろうとさえした。

 高さ12メートルのバックスクリーンを悠々と越え、打球が落ちたのは球場の外を流れる川の中。外野席で観戦していた小学5年生の男の子がそのボールを見つけた。推定飛距離160メートルの特大場外アーチだった。

 ショータイムはまだまだ続く。今度は6回。投手は2年目の期待の左腕、工藤公康投手に代わっていた。「ボスの指示通り打っただけ。低めをうまく打てたのは満足している」とブーマーは左翼上段への2打席連続の120メートル弾を放った。ボスこと上田利治監督の指示は「引っ張れるところも見せておけ」。センターから右寄りの打球が多いブーマーだが、広角に打てることを西武だけでなく、この日ネット裏に集結した他球団のスコアラーに見せつけた。

 「身体が大きいだけでホームランが打てるのなら、プロレスラーが本塁打王になっちゃう」と、ブーマーなんて眼中にないと言わんばかりのコメントを発していた工藤だが、自慢のカーブを打たれ顔面蒼白。ならば直球勝負と7回の対戦ではストレートで押した。

 工藤は結果的にカーブ投げた時以上にダメージを受けた。ボール球に手を出さない選球眼の良さでカウント1-3と、打者有利に持ち込むと、長さ70センチの腕をいっぱいに伸ばし、外角低めの真っ直ぐをとらえた打球は再び左翼へ。5回に岡村が微動だにしなかったように、西岡良洋左翼手も場外へ消える140メートルアーチをただ見送るしかできなかった。3発のホームラン賞は現金3万円にタバコが計150個。酒もタバコもやらないブーマーは、タバコをチームメイトに分配し、3万円は妻の小遣いになった。

 3連発で総飛距離は420メートル。5日のオープン戦でも永射保投手が1発浴びていた西武投手陣は2日でこの新外国人選手に4発の被弾。「当たればあれくらい飛ばすでしょ。甘い球なんだから」と広岡達朗監督は余裕の表情だったが、その裏ではスコアラーや投手コーチらによる“ブーマー対策委員会”の設置を指令。「開幕までに攻め方を研究しろ」というその声は厳しかった。

 年俸3000万円、第2の助っ人扱いだった。阪急はこの年、30歳の現役メジャーリーガー、バンプ・ウィルス二塁手を年俸1億円で獲得。もう一人、ミネソタ・ツインズのファームでくすぶっている黒人選手がいて、格安で獲得できるかもしれないとの情報で食指を動かしたのが、ブーマーだった。

 ツインズは当時、オーナーの方針で黒人選手のメジャーでのベンチ入り人数を制限しており、来日前年の82年、ブーマーは3Aで打率3割3分6厘、打点101をマークし二冠王(本塁打は28本)に輝いたが、ツインズのフロントは「トレードに出すか、オファーが来ている日本へ行くか。トレードに出してもいいが、またファーム暮らしだぞ」と半ば脅迫の中で選択を迫った。オーナーは阪急からの高額のトレードマネーが目当てだった。意志には反したが年俸が5倍以上になることに夫人が喜んだため、ブーマーは海を渡ることを決意した。

 キャンプのフリー打撃で場外ホーマーを連発したことで球団は急きょ、掛け金30万円で万が一打球が人に当たった場合の保険に加入。死亡の際には1億円が支払われる契約だった。

 オープン戦での活躍でシーズンに入ったら何本アーチを量産するのかとも言われたが、他球団が徹底的にマークしたこともあって、1年目は打率3割4厘で打撃成績7位に入ったものの、本塁打17、打点62と伸びなかった。

 しかし、翌年には日本人投手のクセを研究、変化球にも対応できるようになって、飛躍的に打撃技術が向上。打率3割5分5厘、37本塁打130打点で外国人選手としては初の三冠王に輝き、MVPを獲得。阪急も6年ぶりにリーグ優勝を遂げた。

 本名はグレッグ・D・ウェルズ。ブーマーの由来は、マイナー時代に5試合連続本塁打をかっ飛ばしファンの子どもらから「ブーム、ブーム」と呼ばれたことから、日本でもブームを起こすように」と球団の提案でブーマーとなった。

 ホームラン賞の賞金を妻に全額渡すことでも分かるように、恐妻家でもあった。1日の小遣いは2000円と決められ、食事はもっぱらフライドチキンとうどんばかり。みかねた上田監督が「たまには牛も食わんと」と、ステーキを何度もご馳走した。来日前、元ヤクルト、近鉄のチャーリー・マニエル外野手から「日本は神秘の国。分からないことだらけ」と忠告されたが、日本の生活にもなじみ特にテレビ番組は「水戸黄門」が大好きだった。

 92年、ダイエーでプレーをしたのを最後に引退。その後、外国人選手の代理人として活躍し、尊敬する上田監督が日本ハムの指揮を執るとナイジェル・ウイルソン外野手を推薦。ウイルソンは97、98年の本塁打王となり、チームの優勝争い貢献した。(08年3月6日掲載分再録 一部改変)

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