日めくりプロ野球 3月

【3月5日】1962年(昭37) プロってこんなもの?赤い手袋の柴田“投手”デビュー

[ 2011年3月5日 06:00 ]

 「なぁーんだ、客が少ないな」。福岡・平和台球場での西鉄-巨人のオープン戦。がらんとした観客席を目にした巨人のルーキー投手はそうつぶやいた。

 月曜日のデーゲーム、気温7度の中での観衆は約6000人。高校時代、春夏計4度出場し夏春連覇を達成した甲子園球場はいつも超満員だった。そんなことを思い出しながら、神奈川・法政二高出身の柴田勲投手はプロ初先発のマウンドに上がった。

 西鉄の先発投手は前年シーズン42勝のプロ野球タイ記録を作った鉄腕・稲尾和久投手。打線は豊田泰光遊撃手、高倉照幸中堅手らが並ぶ“水爆”と形容された迫力満点の攻撃陣。「大丈夫かな。3回もつかなあ」という別所毅彦投手コーチの心配をよそに、柴田はこう言ってのけた。「外角のコーナーに低く決まればプロだってそうは打たれないでしょう。高校時代から打者に劣等感を持ったことがない。プロでも同じですね」。登板前日は門限ギリギリまで博多の映画館で洋画を堪能した。すべてにおいて型破りの新人選手だった。

 単なる強がりではなかった。1回、2番・仰木彬二塁手、3番・高倉を連続三振に仕留め三者凡退。2安打とけん制悪送球で一死二、三塁のピンチを招いた2回も冷静な投球で切り抜けた。別所が懸念した3回を越え、5回まで投げきった。被安打3奪三振5、犠飛による1失点という内容は十分合格に値するものだった。

 コントロールの良さは評判通り。カーブ、スライダーの制球力は期待以上だった。新人離れした強心臓でマウンドでも堂々としている姿に「この世界で10年メシを食っているようだ」と川上哲治監督も舌を巻いた。

 初回に長嶋茂雄三塁手の2点本塁打で先制した巨人は、柴田の後を受けた藤田元司投手が無失点に抑え、2-1で勝利。柴田はオープン戦ながら初登板初勝利を挙げた。この日は巨人OBでもあり、前年までライオンズを率いていた川崎徳次前監督の引退試合。完全に主役を食ってしまった柴田の好投は新スター誕生を九州の野球ファンに印象付けた。

 62年のペナントレースが開幕した。オープン戦で3勝した柴田に任された大役は、開幕2戦目の4月8日、阪神2回戦(後楽園)での先発だった。「いつものように投げるだけ。特に緊張はしていません」。公式戦初登板前の柴田は気負うでもなく、淡々としていた。オープン戦での実績がその裏付けにあった。

 立ち上がり簡単に二死を取ると、3番・並木輝男中堅手を迎えた。カウント0-2。ストライクを取りにいった直球はド真ん中に入った。逃さず打った並木の打球は右翼ポール際に飛び込む先制ソロアーチとなった。

 本塁打の動揺がなかったように、柴田は続く4番・藤本勝巳一塁手を2-1と追い込んだ。決め球は柴田の生命線でもある外角低めの真っ直ぐ。しかし、タイガースの主砲はボール1個分内側に入った甘い球を軽々と左翼席中段へ運んだ。

 2者連続本塁打。これまで経験したことのない“現実”に直面し、柴田は初めてプロで投げるのが怖くなった。5回には代打の遠井吾郎内野手にも右翼スタンドへ持っていかれた。オープン戦時から心配の種とされてきた、直球のスピードがなく、変化球頼みの投球が本番で手痛い一撃を立て続けに食らう原因となった。

 「1試合で3本もホームランを打たれたことなんてない。コースも甘かったかもしれないが、オープン戦とは違う。やっぱりプロ野球ですね」。自信は完全に揺らいだ。あれだけ大口をたたいていた柴田から威勢のいい言葉はこの日を境に聞かれなくなった。

 この1敗は2年目の川上ジャイアンツにとっても後々まで響いた。開幕で阪神に連敗した巨人は、6月19日に首位に立った1日天下に終わり、シーズン4位。2リーグ分裂後初のBクラスに沈んだ。柴田はといえば、この年6試合に登板。勝ち星なしの2敗で防御率は9・82。甲子園でともに名勝負を演じた、大阪・浪商高から東映入りした尾崎行雄投手は20勝9敗でパ・リーグ新人王。ライバルの明暗くっきりの1年目だった。

 投手失格の烙印を押された柴田だが、逆にこれが幸いした。もともと巨人首脳陣は柴田の非凡な打撃センスにも着目し、いつでも野手にする心構えはできていた。投球練習を終えると、川上監督は必ず打撃練習を課し、自らバッティングゲージの後ろに立ち指導。右利きの柴田が中学時代から遊びでやっていた左打ちも器用にこなすことを知った川上はスイッチヒッターとして売り出すことを決め、62年オフに左打ちを徹底マスターさせた。

 この転向は大当たりした。打者1年目の63年に早くも126試合に出場。外野のレギュラーとして打率2割5分8厘をマークし打撃成績18位。盗塁43はタイトルを獲った。中日・高木守道内野手の50個に次ぐ数字だった。赤い手袋をつけ、颯爽と塁間を走る姿は当時まだ数少なかった女性ファンの熱い視線を浴び、66年に初の盗塁王を獲得すると、その人気はONに次ぐほどでスター選手へと駆け上っていった。

 現役20年間で1度も打率3割に到達せず、2000本安打を達成したのは後にも先にもこの柴田一人だけ。現在はラジオなどの解説でユニークなトークがファンに好評だ。しかし、指導者としては現場からは遠ざかっており、セ・リーグ記録の通算579盗塁の奥義を後輩選手に伝え切れていないのは残念である。(08年3月5日掲載分再録)

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