日めくりプロ野球 3月

【3月2日】1974年(昭49) 帰ってきた“エースのジョー”、893日ぶりのマウンド

[ 2011年3月2日 06:00 ]

 まだオレは死んでいない。巨人を任意引退してから893日。V9巨人の初期を支え、かつて“エースのジョー”と呼ばれた、城之内邦雄投手はロッテで復活。オリオンズの74年オープン戦初戦に当たる、鹿児島鴨池球場でのヤクルト戦の先発のマウンドに立った。

 5回59球、被安打2奪三振2の無失点。「きょうの調子やったらどこが相手でも通用するやろ。想像以上の出来や」。城之内の現役復帰を直接勧めた金田正一監督はすこぶるご機嫌。5安打1点のお寒い打線を気にするより、一度ユニホームを脱いだ男の復活がよほど嬉しかったようで、話は城之内の投球内容に終始した。

 初回、先頭打者の東条博文遊撃手にいきなり中前打を浴びた。「どうなることかと思ったよ。こりゃ相当打たれるなって…」(城之内)。救ったのは“女房”だった。立ち上がりを揺さぶろうと、ヤクルト・荒川博監督は東条に盗塁のサインを出したが、村上公康捕手がこれを間一髪二塁で刺した。

 これでリズムにのった。砲丸投げのように背中を一度打者に軽く向けてから投げる独特のサイドスローは健在。速球は往年ほどのスピードはなかったが、カーブが外角いっぱいに決まる。スライダー、シュートのコントロールも申し分なし。「投げるごとに打者との駆け引きのカンを思い出したよ。2年間の評論家生活で投球術もあらためて学んだのが良かった。あとは下半身に粘りが出ればいけると思う」。夏場から復帰の準備に取りかかり、鹿児島キャンプも故障も離脱もなくやり遂げた。実戦での好投は、周囲も本人もこれからが十分期待できるものだった。

 悔いの残る引退だった。62年、日本ビール(現サッポロビール)から巨人に入団し、いきなり開幕投手を務め、この年24勝12敗で新人王。9年間で140勝(88敗)を挙げた右腕だったが、71年わずか5試合しか登板機会が与えられなかった。しかもすべて敗戦処理。たまたまチームが逆転し1勝が付いたこともあったが、エースとまで言われた背番号15は完全に戦力外扱いだった。

 力が衰えたのなら、それも納得がいった。しかし、まだ通用するボールを投げられる状態だった。「ジョーさん、球きてますよ」。ブルペン捕手の言葉はベテランへのご機嫌取りではなく、正直な感想だった。しかし、川上哲治監督は起用する気配がない。藤田元司投手コーチは「城之内には若手がへばってきた時こそやってもらう。ウチの秘密兵器」と言って言葉を濁していた。

 確かに若手が伸びた年ではあった。4年目の関本四十四投手が10勝(11敗)を挙げ、新人王を獲得するなど、堀内恒夫、高橋一三両投手以外の台頭も目立った。

 城之内が干されたのは気が強く、全盛時の歯に衣着せぬその言動が起因すると指摘したコーチ、選手も少なくない。好投していながらリリーフ投手が打たれると聞こえるように「オレが投げときゃあんなことはなかった」とはっきり口にした場面を多くの選手が見ている。エラーした内野手をにらみつけ、試合後詰め寄ったこともあった。それくらいでなければあの極限状態の中で、ジャイアンツのエースは張れないという擁護論もあったが、69年4勝、70年7勝と勝ち星が減り始めると川上監督以下首脳陣の風当たりは厳しくなった。

 71年10月、7年連続日本一をかけた阪急との日本シリーズのメンバーからも外され、12月に戦力外通告。トレード先もなく、コーチとしても球団はポストを用意せず「巨人の城之内で終わりたい」という本人の希望で、自由契約ではなく、任意引退選手として現役を退いた。

 ラジオでの解説、新聞での評論家活動と忙しく駆け回っていた73年7月、後楽園にロッテ戦の取材に訪れた城之内は金田監督と遊び半分でキャッチボールを始めた。「ジョー、ええ(球の)回転してるで。現役でいけるんとちがうか」と真顔のカネやん。閉じられたはずの扉が再度開いた瞬間だった。

 金田と城之内は因縁浅からぬ間柄だった。金田がプロ野球界で前人未到の400勝をマークした69年10月10日の中日24回戦(後楽園)の先発は城之内。勝利投手の権利が得られる5回に金田にマウンドを譲り、金田は記録を達成した。「その恩があるから獲るんやない。投手として戦力になるからや」と繰り返す背番号34の姿はおかしくもあった。

 オープン戦は初先発のヤクルトを皮切りに古巣巨人を相手にも好投。開幕1軍入りしたが、公式戦はオープン戦とは勝手が違った。オープン戦では通用したカーブは狙い打たれ、苦し紛れに投げた真っ直ぐは1軍の主力打者には通用しなかった。

 結局、巨人退団の年と同じ5試合の登板に終わり、勝ち負けなし。阪急、南海と熾烈な優勝争いを演じたロッテはもはや過去の大投手にかまっている余裕はなかった。

 75年から2年間はロッテで投手コーチ。スカウトに転じて、東芝府中の落合博満内野手に目を付けた。「社会人の打者は球を迎えに行って打つ選手が多い中、落合は一人だけ違った。球を十分引き付けて、呼び込んで打つ。投手から見て一番怖い打者だ」と、年齢がネック(26歳)で獲得に消極的だった球団を粘り強く説得。81年にはロッテ入りを渋る、横浜高・愛甲猛投手に接触、地道に交渉した結果、入団にこぎつけた。短気で人に頭など下げたことがなかった現役時代。スカウトに転身してからは「まるで別人」と、旧知の仲間その低姿勢に驚いた。

 時折、子ども相手の野球教室に顔を出すこともあるが、今はゴルフと趣味の車に時間を費やしている。40年前、後楽園に向かうときにショールームに飾ってあった英国の高級車ジャガーを購入。その車は大金をつぎ込み何度も修理を重ね今でも現役として立派に公道を走っている。 (08年3月2日掲載分再録)

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