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【3月16日】1950年(昭25) あと1人…田宮謙次郎 幻の完全試合第1号

 【阪神7―0国鉄】いよいよあと1人。マウンド上の阪神・田宮謙次郎投手は大記録を知ってか知らずか、淡々としていた。左腕から繰り出す速球と切れ味鋭いカーブに手を焼いた国鉄はここまで無安打。それどころか四球や失策での走者も1人もなく、完全試合達成の瞬間が近づいていた。

 2リーグ分裂後、初の公式戦が始まって1週間足らず。大記録を意識したのは田宮本人よりも相手の国鉄(現ヤクルト)。このまま最後の打者が凡退すれば、日本プロ野球界初の大記録の引き立て役になってしまう。球団創設1年目からの“汚点”はチームとして何としても避けたかった。
 打者は9番中村栄遊撃手。非力ではあったが、俊足がウリの内野手はパーフェクト阻止のため仕掛けを考えた。初球、バントの構えを見せ、バットを引き見逃した。2球目、3球目も同じくセーフティバントを狙うような仕草をした。カウント1―2。小技を警戒して、藤村富美男三塁手が猛然とダッシュした。バントの構えをみせた中村だが、急にバットを引き、一転して強振した。
 バスターの形になった打球は田宮のストレートに押され、飛球に。何でもない三塁フライ、だったはずだが、バントシフトを敷いていた藤村は定位置におらず、打球は三塁ベース手前に落ちた。転々とする白球を西江一郎遊撃手が拾ったときには、中村はすでに一塁を駆け抜けていた。大記録が夢に終わったラッキーなテキサスヒットだった。「初の完全試合達成」となるはずだった新聞の見出しは「国鉄一安打のみ 阪神に完敗」(50年3月17日付、スポニチ)と単なる阪神の勝ちゲームとして扱われた。
 長らく阪神OB会会長を務め、ヘッドコーチとしてチームにいたこともある田宮は58年(昭33)に首位打者となり、新人の巨人・長嶋茂雄三塁手の三冠王を阻止したスラッガーとしての方が有名だが、本来は投手として日本大からタイガース入りしていた。
 49年(昭24)入団でいきなり11勝7敗。左腕投手として将来のエースと目されていたが、完全試合を逃したこの年に肩を痛めた。以後、52年までマウンドに立ったが、松木謙治郎監督の勧めで打者に転向。実は大記録を逃した試合こそ、田宮がプロ野球で勝利投手になった最後の試合だったのだ。
 茨城出身。土地柄、大の巨人ファンだった。日大からプロ入りする話を最初に持ち込んだのが阪神。巨人はその後だった。巨人側が「まだ仮契約だけ。撤回できる」と入団を強く誘ったが、律儀な田宮は「最初に声をかけてくれたから」と阪神入り。首位打者に輝いた58年オフに大毎(現ロッテ)に移籍。引退後は東映(現日本ハム)監督なども務めたが、心はいつもタイガースにあった。
 00年に茨城県下館市の市議選に当選。大学時代は柔道でもならした。野球以外にもさまざまな才能を開花させた左打者である。

[ 2010年3月1日 06:00 ]

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