日めくりプロ野球 3月

【3月10日】1973年(昭48) 金田正一“401勝目”チームを変えたハードトレと食事

[ 2010年3月1日 06:00 ]

 【ロッテ6-3大洋】オープン戦4試合目にして、ようやく初勝利。背番号34の新監督は「まだオープン戦やで」と苦笑しながらも、指揮官としての初勝利は格別だった。
 「これで現役の400勝と合わせて401勝目や。これからどんどん勝つで!」と威勢よく宣言したのは、ロッテの金田正一新監督。長崎・佐世保で大洋相手に逆転勝ちし、意気揚々と報道陣の前に現れた。

 新外国人のジム・ラフィーバー内野手を3番に入れるなど、打線はほぼベストオーダーを組んだ。一方で投手陣はドラフト1位の新人、井上圭一投手や大洋から移籍の鬼頭洋投手の新戦力や1軍当落線上の選手を小刻みにリレー。その実力を見極めた。
 名物オーナーの永田雅一氏が球団経営から身を引き、旧オリオンズ色が一掃され、新生オリオンズの象徴として、知名度と人気を意識しての金田監督の起用だった。「やったるでぇ」のキャッチフレーズに象徴されるように、監督自ら先頭に立ち、キャンプの内容から食事、ファンサービスまで一変させ、話題を振りまき、イメージアップに努めた。それまで番記者でさえ満足に姿をみせなかったロッテのキャンプは大人気。人数にして3倍近いマスコミが金田ロッテを取材に訪れた。
 「走れ!走れ!」に象徴される金田式のハードトレーニング。「野球は足やで。その足が“おアシ”(お金)になるんや。ゼニ稼ぐんなら足を鍛えなあかんで」。投手陣には連日投げ込みの後、自らノックバットを握り、内野ノックをし、その後休むまもなくランニング、ダッシュをさせた。
 「あいつらはワシをひどい男と恨むやろ。それでええ。きっといつかワシに感謝する日がくるから。あいつらをシゴいとるのは、きっと大物になると信じているからや。練習のホンマの楽しみを知るのはこれからや」。金田監督のシゴキに選手は青ざめたが、ファンには大いに喜ばれた。鹿児島キャンプは活気づき、連日練習だけを見に、これまでオリオンズに興味のなかった人や女性までスタンドに足を運び、金田監督は声をかけられると気軽にあいさつし、サインや記念撮影に応じた。
 練習をハードにした分、食事は考えられないくらい豪華でボリュームのあるものになった。当時のキャンプ地での宿泊料は食事込みで巨人の場合1泊6000円。うち食事が2000円だったという。ロッテの場合、前年の1泊4200円から5000円にアップしたが、うち食事に3000円をつぎ込んだ。「ウチは巨人より豪華で量もあるで。腹が減っては戦はできぬとは、昔の人もよく言ったものだ」と金田監督の願いを聞き入れての食事改善だった。
 金田監督の提案で牛乳が飲み放題、果物が食べ放題になったほか、朝食もごはんにみそ汁、焼き魚に玉子程度だったのが、野菜サラダに茶碗蒸し、さつま揚げ、たらこ、シューマイなどおかずが豪華に。昼食のサンドイッチにもとんかつやハンバーグがはさまれるようになり、夜は野菜中心の鍋とステーキなどボリューム満点。「どんどん食って、どんどん走るんや。こんだけ食っても太らんのはそのためや」。
 今では非科学的で、お勧めできない練習もあるが、ここ数年のロッテのお家騒動のよどんだムードを払拭するのにカネやんの明るさはうってつけだった。73年、ロッテは前年5位から、前後期とも2位に。翌74年にはプレーオフで阪急を破り優勝。日本シリーズでも中日に勝ち、毎日オリオンズ以来24年ぶりの日本一に輝いた。本拠地を持たず仙台、川崎、後楽園、神宮などでホームゲームをこなしながら各地を転戦したロッテが優勝できたのは、実力とともに、金田監督の陣頭指揮の効果も少なからずあった。

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